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東海バネ工業株式会社

よきクルマは、よきハガネから | 愛知製鋼株式会社 様

第1話

【歴史を変えた決断】愛知製鋼株式会社様

2015年、鋼材・鍛造品メーカーである愛知製鋼は、創業75年を迎えた。
それは、日本のモータリゼーションを支え、
特殊鋼という素材に、命を吹き込んできた歴史でもある。
自動車の性能、安全性を決める重要部品は特殊鋼であり、
その高いレベルをもつ製品を低価格で提供してきたことが、
日本の製造業の競争力を高めた。
世界に誇る日本の製品、ものづくりの源流は、
こうした特殊鋼メーカーが作り込む「素材」から、始まるのである。

よきクルマは、よきハガネから

「日本に自動車産業を根付かせたい」
豊田喜一郎の思いから、豊田自動織機に自動車用特殊鋼開発の製鋼部が立ち上がったのは1934年のことだった。わずか十数名で操業を開始した製鋼所ではあったが、1日3トンから5トンの生産量は、翌年、小形圧延製品の一部を市場に提供できるようになっていた。

一方、豊田自動織機で立ち上がった自動車部から一足先に独立したトヨタ自動車は、国策により従来の生産に加え月間3,000台の増産計画を立てていた。それにともない特殊鋼の需要も増加し、大規模な知多工場の建設が急務となった。いうまでもなく、特殊鋼専業メーカーとしての独立が望まれ、1940年に愛知製鋼の前身、豊田製鋼が誕生した。
自動車製造には、目的に合った高品質な材料を自前で供給する必要があると考えた喜一郎は、「よきクルマは、よきハガネから」を理念に掲げ、兄弟関係にあるトヨタ自動車と二人三脚で、モータリゼーション隆盛の時代へと向かった。

しかし、船出はしたものの、戦争による物資不足や、台風などの自然災害が続いた。伊勢湾沿岸の愛知県・三重県を襲った1959年の伊勢湾台風では、歴代工場長の記録をはじめ、すべての書類が流されるという災難に見舞われてしまう。そんな苦難を乗り越えながらも、製鋼法の近代化や設備の合理化をすすめ、「愛知のばね鋼(板ばね)」や「ステンレスアングル(山形鋼)」といったブランドを誕生させていったのである。

人の感覚と腕で決まる時代

高度経済成長期に時代がさしかかると、所得の向上とともに、大衆が豊かな生活を求め、一気にモータリゼーションが加速した。その需要にこたえるため、大型電気炉の導入で鋼材の供給体制を整え、1943年に操業を開始した知多工場から、新たに独立した鍛造工場を建設、現在の東海市にて操業を開始したのは1964年のことだった。
この投資により「鍛鋼一貫生産」が可能となり、お客様のニーズにスムーズかつスピーディに応えられる体制が整ったのである。

「当時の製鋼というのは、出鋼責任者の目でハガネの色を見て『今だ』といった時が、出鋼のタイミングでした。責任者の感覚ですべてを決める時代でしたから、経験のない人にはつとまりません。ハガネを固めて割って、その破面を見てモノがいいかどうかを確認する。一面に散る火花で、コンマ何パーセントといった単位でカーボンの量を見極めていましたから、カンコツの塊のような世界だったのでしょう」(安永直弘)

取締役上級執行役員 安永直弘様(生技本部 本部長)

世界初への挑戦

特殊鋼の需要がさらに増大した1978年、これまでの省力・省エネルギー中心の投資から、生産能力拡大への設備投資が進められるようになり、愛知製鋼は、大きな転換期を迎えた。
長年の研究の成果として品質、生産、原価、納期面で画期的な「複合製鋼プロセス」、(80トン電気炉(EF)・取鍋精錬炉(LF)・真空脱ガス装置(RH)・ブルーム連続鋳造設備(ブルームCC))の構想をつくりあげ、その建設を決定。全社をあげて、従来の特殊鋼製造工程の大改革に取り組むことになったのである。その背景には、自動車生産台数の増加、オイルショックや自動車排出ガス規制強化による、材料の軽量化・高強度化、生産性向上、省エネルギー化、そして短納期化のニーズがあった。

1982年、ついに、世界初の複合製鋼プロセスが稼動。これによって、特殊鋼のつくり方がガラッと変わったのである。あらゆる用途のハガネが製造できるようになり、原価も大幅に低減、ブルームCCは、品質のバラツキが少なく製鋼能力も増加させた。その結果、生産性は大幅に向上した。

「従来は、1本あたり2.6トンもあるインゴット(鉄スクラップを溶解後,圧延,鍛造などの加工をする前に一定の単純な形に鋳造したハガネの塊)を何本も固めて、各インゴットの上と下の品質の悪い部分をカットしていたのですが、非常に歩留まりが悪かったのです。ブルームCCが導入されたことで、何百トンと連続的に鋳造して、はじめと終わりの悪い部分だけを捨てる。この画期的なプロセスを世界にさきがけて手がけたのです」(古寺実)

こうして、複合製鋼プロセスは早期に即戦力化し、愛知製鋼の経営に大きく貢献することになった。さらに、この成功を機に、次々と他の特殊鋼メーカーも追従し、内外における製鋼設備近代化の主流になっていったのである。

当時、80トン電気炉からブルームCCまでの一連の設備は250億円という大型投資だっただけに、投資をするべきかどうか、取締役の間では意見が二分したという。そんなに大きな電気炉が必要なのか・・・ここまで高性能なものがいるのか・・・様々な議論があったなか、最終的に決断したのは当時の薮田東三社長。立ち上げまでは、相当な苦労があったというが、この英断が、愛知製鋼の運命を変えたといえる。

車をつくる上で、理念に沿ったハガネをつくるために、現場の力がどれだけ出せるのか・・・
このプロジェクトは、今でも、多くの社員に語り継がれているというが、
創業者の思い、先輩の苦労、あるいは、生産量の伸びが、そのことを物語っている。

80トンの電気炉は、現在150トンへと拡大し、世界中へ高品質な鋼材を送り出している。

伊勢湾台風により、過去の資料が流されたと前述したが、残っていた写真を手がかりに、初期の工場の歴史を紐解いたのは、安永前工場長。

「工場長になった当時、自分が何代目の工場長なのかという漠然とした疑問がありました。そこで、空白の時間をなんとか埋めようと過去を追っていったら、岩越さん(故人)というOBがおられましてね。当時95歳、愛知製鋼の工場に一番に入社した人で、初代工場長のことも克明に記憶されていたんです。そうしたら、25代目と思っていた私は、実は23代目でしたよ(笑)」

社員から集まった情報で、流された過去のデータを復元していった。
それは、愛知製鋼を愛する社員の心、身体に、生きた歴史が記憶されていたからこそ。
まさに、社員こそが愛知製鋼の歴史そのものなのである。

第二話に続く・・・

~よきクルマは、よきハガネから~

愛知製鋼株式会社 知多工場[特殊鋼条鋼]

https://www.aichi-steel.co.jp

所在地 〒476-8666 愛知県東海市荒尾町ワノ割1番地

取材ご協力

取締役上級執行役員 安永直弘様(生技本部 本部長)
取締役上級執行役員 山中敏幸様(営業本部 本部長)
執行役員   野村一衛様(先端・機能商品開発部長 工学博士)
参与     古寺 実様(知多工場工場長)