第1話
第1話 世界とつながった瞬間
小さな世界都市に向けた豊岡の挑戦
地域の文化は、未来の資源
一般社団法人豊岡アートアクション
中貝宗治理事長
兵庫県の北部、但馬地域に位置する豊岡市。
野生コウノトリの生息地として知られるが、真っ先に思い浮かぶのは城崎温泉。街の中心を流れる大谿川(おおたにがわ)沿いには、木造和風建築の老舗旅館や商店が建ち並ぶ。
そんな豊岡には、世界中から人が集まってくる。それは、何故か・・・
人口減少、産業衰退のなかで、受け継いできた文化を、守り、育て、つないだから。今回は前豊岡市長である中貝宗治さんのまちづくり体験記を3回に渡ってお届けします。
文化とは、まさに未来の資源。
豊岡市が取り組んだ「深さを持った演劇のまちづくり」は、それを感じさせてくれる。この土地の豊かさ・文化をベースにローカルの価値を輝かせ、
演劇という軸で世界に発信し、つながった。
そんな豊岡のまちづくりに携わってきたのは、中貝宗治さん。
兵庫県議会議員を10年、豊岡市長を20年、
人口減少対策を考えるなかでつくりあげたのは、人口は減るけれど元気な街。
その旗印が「小さな世界都市」である。
人口規模は小さくても、世界の人から尊敬される、尊重されるまちづくり。
この「小さな」を、スモールではなくローカルと訳し、
ローカルを磨き上げて、世界で輝く。
グローバルと、ローカルは対義語のようにとらえられているが、1つの合体した概念。ローカルを極めることで、真のグローバルが見えてくる。
深さを持った演劇のまちづくり

「深さを持った演劇のまちづくり」という構想を豊岡市で進めてきたのですが、市長を退任した後も豊岡アートアクションという社団法人を立ち上げて、市民の立場で活動を続けています。この構想は、演劇を楽しむまちづくりではありません。表現したいアーティストと、それを見たり聞いたり触れたりしたい個人がいて、個人の内面にどう響くかがアートの本質ですが、そのアートは個人だけではなく、まちにも影響を与えます。そこに着目をして演劇やダンスといった舞台芸術をまちづくりに生かそうというのが深さを持った演劇のまちづくりです。そのきっかけは、近畿最古の芝居小屋である永楽館からでした。
永楽館とは1901年に芝居好きの人によってつくられた芝居小屋で、長らく閉館されていました。それを市が譲り受けて、片岡愛之助さんを座頭に歌舞伎で復活させたのです。舞台と客席の圧倒的な近さが魅力の永楽館歌舞伎で、来場者は楽しまれ、店や宿は千客万来。外からお客さんが大勢きてくれたことで、まちが一気に華やかになったのです。その時、アートとは見た人を元気にするだけではなく、まちを元気にする力があることに気づいたのです。
それが行政としてのスタートでした。
創造の地への変貌 城崎国際アートセンター
その後、県立の城崎大会議館という1,000人規模の古いホールを兵庫県から引き受けたのですが、毎年約2,000万円の大赤字。どう頑張っても永遠に赤字。ならば、投資として考えようと。それで、演劇やダンスをつくる人たちに宿泊、稽古場として無料で貸そうと思いついたのです。その代わり作品の途中経過を見せてもらうことを条件にすれば、演劇やダンス好きにはすごいプレミアになる。仮に城崎温泉に泊まる人が1,000人増えれば、毎年約2,000万円が城崎に落ちる。ひょっとしたら成り立つのではないかとスタートしたのが、城崎国際アートセンターです。
オープンしてみたら初年度から稼働日数320日。カンヌ国際映画祭の女優賞を取った俳優がひと月滞在したり、フランスを代表する演出家、世界最高峰のアルディッティ弦楽四重奏団やダンサー、日本では森山未來さん、芥川賞作家と、世界中から一流のアーティストが演劇やダンスを作り上げるために集まってきたのです。
平田オリザさんとの出会い
この城崎国際アートセンターを構想した時、市の担当者に可能性があるか調べてもらいました。ちょうど豊岡に来ていた日本のコンテンポラリーダンスの第一人者を現地へお連れして「市長がこんなことを考えたのだけど可能性ありますか?」と聞くと、「絶対うまくいくよ」との回答がかえってきました。ダンスは稽古が終わった後、いかに筋肉を早く元に戻すかが大事で、リラックスできる城崎温泉もありますから最高だと。その次に平田オリザさんが文化講演会に来られていたので、同じ質問をすると、「大丈夫、いける」とのことでした。
それに手応えを得て「やっぱりそうだろう、やろうやろう」となり、平田オリザさんをアドバイザーにお迎えし、城崎国際アートセンターの基本計画ができたのです。実はこの可能性について、平田さんだけは難しいことをおっしゃっていたようです。「この建物はセンスも、使い勝手も悪い。しかも無料で貸せばいいということではなく、サポート体制を作らないと難しい。ただ、城崎は魅力的なのでよほど頑張ればうまくいくかもしれない」と。どうも、計画を進めたかった担当者が、「大丈夫と言ってくれた」と私に報告したようなんです。大成功した時に「僕は難しいと言ったんだけどなぁ」と言う平田さんと、そんな冗談交じりのやりとりがありました。
豊岡の強みは何か、芸術文化と観光
そうこうするうちに、国が専門職大学という新しい制度をつくることになったのです。豊岡の強みは、演劇と観光で世界中から人がやってくること。この2つを学ぶことができる4年制の専門職大学をつくって欲しいと兵庫県に提案したところ、僅か5年で芸術文化観光専門職大学が完成。1学年80人と小さな大学ですけど、日本中から来るようになったのです。演劇を創りたいという学生、演じたいという学生、ダンスをしたいという学生もいます。その経緯をお話します。当初この計画は、ものづくりと観光というコンセプトで進めていました。ある日、ブックディレクターの幅允孝さんに大学の構想を話していると、「中貝さん、観光を狭く見ない方がいい。観光はコミュニケーションです」とアドバイスをもらったのです。そうしたら、コウノトリ但馬空港でばったり平田さんに会い、飛行中の機内で30分ほど大学の構想を話すと、「観光コミュニケーションって、コミュニケーションなら演劇じゃないですか」と。
すでに、平田さんに指導者になってもらい、演劇でコミュニケーション能力を高めるという授業を中学校で開始していたので、それは理にかなっていると思いました。県知事にお会いした時、口頭で 「コミュニケーションになったら、演劇ということもありかもしれないですよね」とお話ししたのです。当時の井戸敏三兵庫県知事は、県が持っていた城崎大会議館を市に譲り渡したら大成功したことを評価してくれていましたから、「そう、アートで突き抜けたらいい」と、おっしゃった。それで、演劇(アート)と観光となったのです。あの時、平田さんと飛行機で隣り合っていなければ、この大学は出来ていなかったかもしれません。
演劇やダンスといった芸術文化を目当てに来た観光客が、空いた時間に温泉と食を楽しまれる。豊岡みたいな飲み屋で酒を飲んでいると、隣近所の人と仲良くなったり、店主と会話が弾んだり、地元の人との触れ合えます。そうすることで旅の喜びが倍増する。これまで日本にはあまりなかった芸術文化観光を切り拓くのも、この大学の大きなミッションです。これも深さを持った演劇のまちづくりの重要な要素です。

(第2話:「演劇をエンジンに」に続く)
地域の文化は、未来の資源
一般社団法人豊岡アートアクション
取材ご協力
中貝宗治理事長
取材
東海バネ工業 ばね探訪編集部(文/EP 松井 写真/EP 小川 )