| イームル工業株式会社 様

第1話

農村への小さな一歩が、日本の大きな一歩に

ばね探訪取材:イームル工業株式会社様 増子利健社長

イームル工業株式会社(株式会社明電舎グループ)

※文中では「イームル」と社名を表記させていただいています

「再生可能エネルギー」という言葉が一般に広まる遥か昔、戦後間もない時代から、日本の山々を駆け巡ってきたイームル工業。創業から80年、手がけた水力発電所は全国550か所にのぼる。その多くは、農協をはじめとした地域の方々が所有する「共有の財産」。

単に設備をつくるだけでなく、地域の水利を尊重し、人々の暮らしに寄り添いながら、その土地に最適な形を追求してこられた。80年の歴史に裏打ちされた技術と、地域に届けた550の灯り。これこそが、脱炭素社会の未来を切り拓いていく力となる。

今回のばね探訪では、イームルのこれまで(歴史)と、これから(未来)を2025年6月に就任した増子利健社長に語っていただいた。

エントランスに飾られた

創業者 織田史郎氏の肖像画

「地域経営型」の小水力発電所を提唱

イームルは、東広島市八本松を拠点に水車をはじめ中小水力発電の設備をつくっている会社です。そのはじまりは、終戦から2年が経った1947年。広島では壊滅的な被害から復興に向けた努力が続けられていました。特に深刻だったのは見渡す限りの闇に沈んでいた山間地域の農村部で、そこに必要なのは食料と電気でした。そんな状況を目の前に、「発電事業で農村を元気に、そして豊かにしたい」と立ち上がったのが、イームルの創業者である織田史郎。この創業者の一途な志が、我々の原点であり、今でも続く挑戦はこの時から始まったのです。

小さな川に発電所をつくり、そこで発電した電気を電力会社に買い取ってもらうことで農村を元気にしようと考えたのですが、どうやって、その道を拓いていったのか。

歴史を辿ると、もともと創業者は、中国電力で水力発電に取り組んでいました。その経験と知見を活かして着目したのが、農協など地域の人たちに発電所のオーナーになってもらうこと。それによって、売電収益が地域に還元され、農村を活性化させることができると「地域経営型」の小水力発電所を提唱したのです。

専門知識のない地域での経営とは?

とは言うものの、小水力発電を普及させるには様々な壁が立ちはだかっていました。まずは専門知識のない地域でどう実現させるか。未経験の地域住民がオーナーになるには、地点調査から発電所の建設、メンテナンスまでをサポートする体制を整える必要があります。どこにどんな川があって、どこなら発電できるか。山に入り発電に適した場所を特定する地点調査など、専門知識が必要な部分をイームルが引き受けることで、小規模水力発電の普及を可能にしたのです。

現場に合わせた一点物の水車

驚くべきは、発電した時の電気を中国電力に買い取ってもらう仕組みを考えだしたことです。今でいうFIT制度(再生可能エネルギーの固定価格買取制度)の先駆けとなる画期的なもので、自家消費の余剰分を売るのではなく、発電した電気の全量を当時の中国配電に買い取らせる方式でした。そして、政治家たちに水力発電の必要性を訴え、国を動かし、議員立法で法律化させるという偉業を成し遂げたのです。実は、法案を通す際に東京で動いたのが明電舎でした。当時、参議院議長を担っていた明電舎の社長が、創業者の熱い想いに共感し政治の力で法的基盤を整える強い味方になったと聞いています。

これをきっかけに、当時、導入を阻んでいた高額な発電機も、明電舎からの強力なバックアップを得られることになったのです。小水力発電は、設置場所の地形によって「落差」や「流量」が異なるため、本来は一箇所ごとの完全なオーダーメイド設計を必要とします。創業者自ら険しい山々を歩き、それぞれの地形に最適化した「水車」の開発でエネルギー効率の最大化を達成。これに信頼性の高い明電舎の発電機が加わることで、「現場に合わせた一点物の水車」と「明電舎による信頼性の高い発電機」のパッケージ化が実現しました。この供給体制は、高性能と低コストを両立させる決定打となったのです 。

「地域サイズ」という持続可能性

厳しい状況にあった山間部でも、農協さんたちが続々と小水力発電所を建設し、収益を得られるようになりました。イームルも、その後10年で中国地方に50カ所の発電所を建てているのですが、機械化設備もない時代のなかの考えられないスピードに、「一刻も早く農村に光を」という創業者の強い意志を感じます。

こうして、一品一様の精密な設計でありながらも、全国の農村へと展開する道が切り拓かれていきました。当時、イームルが手がけた小水力発電所は、100kW、200kWと水力発電の中ではとても小さなもの。「地域のエネルギーを、地域の方々の手で価値に変える」わけですから、数万kWのダムではなく「村の灯」となる「手の届く」小水力が地域に根付いていったと言えます。

建設の計画は、河川の落差と水の量を見て、ここに発電所を置けばどのぐらい発電できるか予測を立てるのですが、重要なのは「流量」と「落差」。当時は現代のような精密なデジタル地図やドローンはありません。先人たちが地図を手に山々を歩き、地形と水の流れを五感で確かめながら、水の声を聞くように見つけ出す。この執念が、貴重な調査データとなり、地域にとって大きな財産となったのです。

「冬の時代」を支えたメンテナンス技術

1950年代前半頃までは水力発電が主でしたが、高度経済成長期に入り電力消費量が急増すると、火力へと移っていきました。また投資は原子力へと向き、水力の新しい建設はほとんどなく、各メーカーは厳しい状況に追い込まれてしまいます。しかし、水力発電は太陽光や風力と違って、しっかりメンテナンスをすれば100年使っていただける設備。その「100年動き続ける機械」の誇りを守り、オーバーホールや修繕の仕事を生業とし技術の灯を消しませんでした。その粘り強い歩みが、再生可能エネルギーが再び求められる今、揺るぎない信頼へ繋がっていると信じています。

(第2話:「未来へのパーパス、時代は巡り志は再び原点へ」に続く)

第1話 農村への小さな一歩が、日本の大きな一歩に

イームル工業株式会社様
取材ご協力

増子利健社長

取材

東海バネ工業 ばね探訪編集部(文/EP 松井 写真/EP 小川 )