第1話
【馬に捧げた人生物語】日本スターティング・システム株式会社様
中央競馬とともに44年、そのスタートにすべてをかけてきた会社は、日本スターティング・システム(JSS)。
競馬場での発馬機(スターティングゲート)の保守・整備など、発走業務を手がけている。
レースに出るためには、発走の試験があり、これに合格しないと競走馬にはなれない。
競馬はゲートから始まる
競馬はゲートから始まる
一人では闘えない。一人では勝てない。
G1、ダービーと、語り継がれてきた名勝負。
そこには、馬と、騎手、厩舎の調教師、
様々な人間たちとのドラマがある。
「さぁ、行ってこい」
数ヶ月に渡る訓練をともにしてきた調教師たちに、
尻を叩かれ、送りだされる初レース。
ゲートに入れば、その先は人馬一体の闘い。
1秒の10分の1を争うスタートの瞬間は、
孤独感、そして緊張が極度に達するとき。
ファンファーレとともに、ゲートの扉が開け放ち、
高ぶる緊張感は、爆発的エネルギーに変わる。
そんなパワーを、スターティングゲートは秘めている。
競馬はゲートから始まる。
中央競馬とともに44年、
そのスタートにすべてをかけてきた会社は、
日本スターティング・システム(JSS)。
競馬場での発馬機(スターティングゲート)の保守・整備など、
発走業務を手がけている。
レースに出るためには、発走の試験があり、
これに合格しないと競走馬にはなれない。
JSSの誕生
江戸時代末期、アメリカの圧力によって200年余りも続いた鎖国は終止符をうった。
開国後、日本国内の産物を求めて多くの外国商社マンが横浜に居住し、
外国人居留地が設けられる。
そんななか、1862年にヨコハマ・レース・コミュニティの主催で洋式競馬が行われた。
これが日本最初の競馬である。
その後、36年の日本競馬会発足によって中央競馬へと受け継がれ、
60年代になると、
戦後初のクラシック三冠馬・シンザンなどスターホースが次々と登場。
多くの観衆は、馬の筋肉美と迫力にひきこまれた。
倍々ゲームのように売り上げも伸び、
競馬の開催規模が拡大していくなかで、発馬機も進化をとげていく。
「もともと、発走業務は日本中央競馬会(JRA)が手がけていたのですが、
発馬機の整備不良によるトラブルなどで、
競馬会とは別会社が良いだろうと分離が検討されました。
そこで発馬機に熟知している 野澤組(株)に発馬機会社設立協力を依頼し、
65年にJSSが誕生しました」
こう、当時を語るのは、関東事業所の福田悦男所長。
野澤組が海外はニュージーランド からウッド式の発馬機を購入、
ここからJSSはスタートした。
発馬機の歴史
競馬場、レースの中継などで発馬機を目にしたことのある人は多いと思うが、
競馬はまさに、このスターティングゲートが重要なポイントなのである。
そのスタートの歴史に触れてみよう。
日本の洋式競馬で最初に用いられたのは、1本のテープにによるものだった。
スタートのときに数センチ幅のテープがあがるのだが、
馬がつっかかれば、すぐに切れてしまう。
発走するまでに何度もテープを変えなければならなかったため、
馬が揃わないうちに突入してテープを切ると、
騎手は罰金をとられるといった罰則まであったという。
改良を重ねワイヤーやロープを採用するようになってからも、トラブル続出。
それもそのはずだ。
最高に興奮状態のスタート直前だけに、
少しでも好スタートを切ろうとすれば、
フライングすれすれで突っ込み、バリヤーにからまってしまう。
何回やってもやり直しで、時間を費やしたものだった。
だからこそ、勝敗を決定づけるのは『スタート』だった。
腕のある騎手は、そのあたりの呼吸のタイミングをうまく読み取っていた。
よく、「馬7分、騎手3分」といわれるが、
バリヤー時代の騎手3分は、今以上に重みがあったのかもしれない。
発走再行や人気馬の出遅れなど、発走トラブルが絶えなかったなか、
60年の夏、ようやくウッド式ゲートを導入することになった。
小倉、東京で採用してみたところ、
バリヤー時代の不手際はかなり減少したようだが、
ある騎手は、「ビックリ箱から飛び出すようなものだ」と揶揄していたという。
ウッド式とは、
エドウィン・ハズウェル・ウッド氏が考案したもので、
軽量で移動が便利、そのうえ芝馬場の損傷が少ないという、
当時では画期的なものだった。
製作発注にあたり、外貨取得の問題には野沢組があたり、発注許可をとるため、
通産省(現・経産省)へ足繁く通い、膝詰め談判でかけあった。
そして実際の製作は、ウッド氏の指揮の下に日本人技術者の手によってつくられたのである。
詳しく説明すると、
馬が一頭毎に枠に入るもので、パイプをつなぎ合わせて4つの枠に仕切られ、
それぞれ前後に扉がついている簡単な構造だ。
ゴムを動力として前扉が一斉に開く仕組みになっており、
4頭分が1単位で、出走頭数に合わせて何単位も連結して使用するといったものだ。
強い反対があったウッド式だったが、
実馬の発馬練習、発馬状況の高速カメラによる分析写真など、
あらゆる方法によって馬主や調教師の理解を求める努力が続けられ、
次第に受け入れられるようになっていった。
そして、73年には、独自の製作にも成功。
これが、「48型」1代目である。
発走の試験
さて、競走馬になるためには、発走の試験に合格しなくてはならないと前述したが、
これは、スターティングゲートの枠入りの試験のことを指す。
「もともと、馬は狭いところに入るのを嫌いますから、
ゲートのなかに入れるには無理があるのです。
牧場でも小さいゲートがありまして、少し幅を広くして、何度も入れながら慣らします。
通過に慣れれば、枠内でとめる。
とめることができたら、扉をしめて馬のお尻をさわっても驚かないか。
こうした調教を繰り返しながら、トレーニングをします」
近年、ゲートで泣かされる騎手はすくなったといわれるようになったのも、
バリヤー式からウッド式の変遷と、厩舎での調教技術のアップにつきるといえる。
この陰の立て役者が、JSSの現場スタッフたちだ。
第2話では、その現場に迫ってみる。
日本スターティング・システム株式会社
取材地:〒300-0415茨城県稲敷郡美浦村美駒2500-2
(美浦トレーニングセンター内)
TEL:(029)885-4504 / FAX:(029)885-4509
取材協力 関東事業所 所長 福田悦男 様