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自転車からスタートして、自動車、エスカレーター、あらゆる”動く”を支えて92年 | 株式会社ツバキエマソン 様

第1話

【ツバキエマソン誕生】株式会社ツバキエマソン様

もの動くところにチェーンありと、自転車からスタートして、自動車、エスカレーター、らゆる”動く”を支えて92年、株式会社ツバキエマソンは大正6年創業の日本を代表する会社だ。厳しい精度でチェーンづくりに挑み、そのシェアを高めてきた。そのチェーンの技術をベースとしてパワトラ業界に進出した。
浮き沈みの連続のなか、競争に勝てる道を探しあてた戦略、開発体制。それを一手に引き受けるのがツバキエマソンだ。

自動車分野とともに成長、ライバル会社との闘い

椿本チエインといえば、知らない人はいないだろう。
もの動くところにチェーンありと、
自転車からスタートして、自動車、エスカレーター、
あらゆる”動く”を支えて92年、
大正6年創業の日本を代表する会社だ。
厳しい精度でチェーンづくりに挑み、そのシェアを高めてきた。
そのチェーンの技術をベースとしてパワトラ業界に進出した。
浮き沈みの連続のなか、競争に勝てる道を探しあてた戦略、開発体制。
それを一手に引き受けるのがツバキエマソンだ。
それは、これからの日本の製造業を代表するスタイルなのかもしれない。

社名由来

1917年、椿本説三という人物により椿本チエインは大阪で創業した。
大正末期くらいだろうか。
当時は、自転車用のチェーンを手がけていたが、次第に激化する受注競争のなか、
10年以上続けた自転車から手を引き、産業用のチェーンにシフトした。
社名にチェインという名前がついているのは、そうした由来があるからだ。

「ローラーチェーンをベースにしたビジネスを展開していましたが、
自動車のエンジンを動かすタイミングチェーンが採用されましてね。
自動車とともに我々は更に大きくなりました」(福井取締役)

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自動車のタイミングチェーンに関しては、
殆ど椿本チエイン製が採用されており国内トップを誇る。
アメリカ、ヨーロッパといった世界でも圧倒的なシェアを握っており、
この自動車が、椿本チエインのエンジンとなって、成長路線を加速させたのである。

「チェンをベースに、もっと何か?」
次に着目したのが、マテハン関係だった。
「例えば自動車の生産ライン。最初はチェーンで動かしていたわけですね。
あるいは、自動車の組み立て工場ですと、
車体が天井から降りてくるのもフリーカーブと呼ばれていたのですが、
チェーンを使っていました。
そして、自動車の車体を塗装をするラインだとか、
新聞社の印刷ライン、アパレル関係の物流倉庫ですね。
そうしたマテハン関係に進出したのです」(福井取締役)

一方、精機事業にも参入した。チェーンを動かす駆動源。
チェーンを発祥として、自動車、マテハン、精機、この3つを柱に伸びてきた会社なのだが、
後発であった精機事業一筋にがんばってきたのがツバキエマソンだ。

ツバキエマソン誕生

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1965年、ボルグ・ワーナー社と手を組み、合弁会社「椿本モールス」をつくった。
世界を視野に入れていた椿本チエインは、
グローバルに伸びていかなければならないということで、
アメリカの電動部品パーツ関係の大手、パワートランスミッションの大手であったボルグワーナーを提携相手に選んだのである。
これが、後のツバキエマソンとなる。

この合弁会社は、ボルグ・ワーナー社の子会社「モールス」と、椿本チエインで出資してつくったのだが、
その後、モールスが椿本エマソンに吸収され、エマソンに変わり、

椿本エマソンと精機事業が2002年に一体になって、今のツバキエマソンに生まれ変わった。
株主構成は、椿本チエインが70%、アメリカのエマソンエレクトリックが30%。

こうして2002年、ツバキエマソンは第2の創生期を迎えたのである。

これをきっかけに、京都から兵庫へ130名が移転。
これが後の大改革につながることになるのだが(2話でふれる)、現在、京都、兵庫、岡山の3工場。
京都はアームやドラムを回す減速機関係。
兵庫はパワーシリンダ、ジャッキ関係。岡山はクラッチなど小さな保護機器関係。全く異なる製品を3工場でつくっている。
いずれにしても、一般大衆の目に触れる商品ではないが、非常に幅広い業界で使われており、
主力のパワーシリンダーだけでも、医療、農業機械、食品、造船、鉄鋼、発電、電波、通信と入っていない業界がない程だ。
そういった面では、世の中の景気変動に強い事業体である。

では、ツバキエマソンの主力商品であるパワーシリンダとはどんなものか。

構造的には簡単で、いわゆるモーターと歯車とねじ。
これを組み合わせた一つのユニット商品である。
電源さえあればどこでも直線運動が可能で、油圧シリンダ、空圧シリンダにとってかわった商品だ。
東京ドームの移動する観客座席や、医療の検査用ベッドなど、
ものを『運ぶ・動かす』というシーンで活躍、機械の一部になるというわけだ。

「この商品の良さは簡単なことです。
これまでは、自分たちでモータ、減速機、ネジを購入し、これをカップリングでつなぎ合わせていました。
しかしこの商品は手間が省けます。ポンと置くだけで、セットするわずらわしさがない。
設計も メンテナンスもいらない。
コスト的には高いのですが、一度、使用したら離せない商品。
これが我々の売りです。お客さんは、もっともっと高度化していて、完全に10年間メンテナンスがいらないものを求めてきます。
方向的には、この商品は時流にのっているので、いろんな業界から声がかかります」(小林部長)

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油圧、空圧から電動へ

そんなパワーシリンダーは、40年前に電動シリンダとして販売されたわけだが、
一昔前は、油圧シリンダ、空圧シリンダが主流だった。
しかし、電気消費量が大きい。そこへ、第3のシリンダを持ち込んだ。
「電気で動かしますよ」
「えっ、電気でそんなことできるの?」
当時からすれば奇抜だったのか、先を行き過ぎた電動シリンダは全く売れない。

押す力の”推力”、”ストローク”、動かす”スピード”、
これを検証してみると、油圧のゾーンに近かった。
ならばと、油圧をつかっているところをターゲットに売り込んでみたところ、そこに鉄鋼関係が飛びついてきた。
鉄鋼の高炉は油圧シリンダを多く使っており、メンテナンスに困り果てていたのである。

「油圧シリンダというのはシリンダに油圧の配管をせにゃいかんのですよ。
ポンプで油圧ユニットをまわさなぁアカン。実は配管の処理が非常に大変で、
しかも、長い距離の配管に100気圧くらいの圧力が常にかかってくる。
配管の腐食の問題、破裂の問題、油が漏れる、こういう問題を抱えていたのです」(福井取締役)

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これが電気の配線1本で動くとなれば、メンテは簡単だ。
さらに、鉄鋼での実績を聞きつけたセメント業界からも引き合いがあり、油圧シリンダから電動シリンダに切り替わっていったのである。
鉄鋼、セメント関係が一挙に使い出したことで、それをつくっているプラントメーカー 、
たとえば日立造船、三菱重工、川崎重工、住友重機などの工場の設備関係をやっているプラントメーカーも、
「これは便利」と忽ち評判となった。

こうして、昭和47年くらいだろうか、
油圧、空圧から電動化へと、歴史が塗り替えられていったのである。

ライバル会社登場に苦戦?

そんな矢先だった。一人勝ちと思われたところに、強力なライバルが現れた。
ツバキエマソンの牙城であった鉄鋼関係にも食い込まれ、
どんどん領域を侵されて、窮地に追い込まれてしまう。
そのせめぎ合いに負けてしまうこともあり、一進一退の攻防は、十数年と続いた。
「なんとかせにゃいかん」
ライバル会社は重厚長大型路線。
同じところで戦っても面白くないと、顧客の声に真剣に向きあう毎日。
そして、新商品を次々とつくっていくうちに、
サーボモータ搭載などの高精度に乗り換えたのだった。
つまり、大量生産ではなく、ニッチなマーケットを狙うことなった。
ツバキエマソンはついに逆転、シェァを取り戻したのである。
その路線は、結果的にクリーンルームやITの太陽電池、液晶という新たな領域の開拓につながった。

「この戦いがなかったら、おそらく、重厚長大型のままでいたかもしれない」と、
取締役は過去を振り返るが、
こうしたライバルとの戦いがあったからこそ、新機軸を生み出すことになったのである。
特に昨今、省エネとか、エコといわれている時代であるから追い風だ。
メンテの良さだけでなく、エアに比べ電気代が10分の1、油圧に比べ3分の1とか、
電気代節約、エネルギー、あるいはCO2の排出削減ということで注目されている。

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日本のマーケットとともに姿をかえてきた

「石炭の全盛時代、鉄鋼、繊維と、これまでの日本は中心となる基幹産業が変化してきた。
その時代にあわせて我々も変身し、
マーケットに訴求した製品づくり、プロダクトミックスにならざるを得なかった。
しかし、今は違う。
ITならIT主体。IT関係の設備用シリンダーにターゲットをおいていかないと、伸びていけない。
時代の要求に応じて、我々の持っているシリンダーの姿をかえる、ということが重要だと思います」(福井取締役)

商品を開発するのは、設計が出来たら良いというものではない。生産がきちっと出来ないといけない。
外から買ってきて採算があわなければ意味がないわけで、社内できっちりつくれる生産体制をつくりあげるのが難しいのである。
「精度をあげるために、これまでと違った機械を使わなければならない。まったく違う加工を行う必要がある。
設計が出来て、商品が出来ます、生産にのりますという世界はない。
ベースになる加工をできる体制を整えないと、世の中に出す製品にはならない。ここに時間がかかっています」(福井取締役)

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心臓部は、すべて自前で独自の発想でつくっている。
そうしないと、技術アップにつながっていかない。
ここだけは、ツバキエマソンがこだわっている点だ。
鋳物等は外から調達するが、中心部分に関しては、
外から購入しない分、設備投資をして生産体制を整えている。

(…第2話につづく)

-魅力ある人の創造 魅力ある商品の創造 魅力ある工場の創造-

株式会社ツバキエマソン

http://www.tsubakimoto.jp/tem/company/

所在地: 〒679-0181 兵庫県加西市朝妻町1140
TEL:(0790)47-2525 / FAX:(0790)47-2529

取材協力 兵庫工場工場長取締役 福井豊明 様
作動機BU技術 部長   小林 豊 様
調達部 課長   山口 登実男 様