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夢をかけた5人の創業物語 | 株式会社コスメック 様

第1話

【夢をかけぬけた5人の創業物語】株式会社コスメック様

日本の製造業といえば、伝統と信頼で看板を守り続けてきた、「ものづくり大国」の主役たちである。
彼らには、創生期から積み上げてきた長い「歴史」がある。それだけに、後発組がその牙城を崩すことは難しい。
そんななか、 ゼロからのスタートで彗星のごとく登場した会社がある。

有志5人、企業を起こす

日本の製造業といえば、伝統と信頼で看板を守り続けてきた、
「ものづくり大国」の主役たちである。
彼らには、創生期から積み上げてきた長い「歴史」がある。
それだけに、後発組がその牙城を崩すことは難しい。
そんななか、 ゼロからのスタートで彗星のごとく登場した会社がある。
油圧機器の製造・販売で急成長したコスメックだ。
創業20年余りで年商46億円、中堅企業となった新参者は、
どう、老舗に闘いを挑んだのだろうか。
その歴史の第一歩は、「夢を追いかけたい」という、
有志5人のスピンアウトから始まった。

誕生と隆盛

「苦楽をともにできる仲間と、仕事がしたい」

自分たちの夢を実現しようと、
23年前、兵庫県伊丹市で精密機器の開発・製造に携わっていた仲間たちが会社を飛び出し、企業を起こした。
1986年5月のことである。
コスメック この社名は、その時のメンバー5人の頭文字を組み合わせて生まれた。
「創業者(現会長)である米澤慶多朗のKを最初と最後に、白川のSなどを組み合わせ、
コスメックになったんです。
米澤精機とか、米澤油圧機器というのも考えましたが、
それやったら、つくるものがはっきりしてしまう。
基盤もなく、どういうところに何をつくっていくか、
まったく白紙状態でしたから、
名前に会社の業態を表さないほうが良いだろうと考えました」
創業メンバーの一人である白川務社長の言葉から、
当時の話を伺った。

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創業した86年といえば、円高不況の真直中。
大企業から中小企業まで、多くの会社が軒を連ねる古い体質の業界だ。
油圧機器製造のコア技術は持っていたが、
資金も販路も、強力なバックグラウンドもないコスメック に、
そう簡単に仕事などくるはずがない。
「独立したのなら応援しよう。ものが良かったら、買うてやるよ」
多少のコネを頼りに、尼崎三反田にオフィスを構え、
細々と商売がスタートした。
「当時のメンバーは、開発4人に、1人が製造系でしたから、
4人でひたすら絵を描いては試作する。
試作は尼崎周辺に色んなインフラが揃っていまして、
図面を持って行って、頼むんです」
最初の1年半は、会社の根幹となる製品開発にあけくれた。
商売ができそうな製品が完成したところで営業マンを1人入れ、
実際に販売を開始したのは2年が経ってからだった。
オフィスも尼崎市次屋に移転、製造は外注に出していたが、
多少、広くなった事務所を工場代わりに、
自分たちで組み立てて出荷できる体制が整った。

しかし、ものづくりをするということは、自分たちで内製化率を高めないと、
QDCが成り立たないことに気づく。
QDCとは、品質(quality)、納期(delivery)、コスト(cost)。
自前は確かに品質は高いが、納期・コストがなかなか追いつかず、三拍子揃うのは難しい。
しかし、QDCを自前で揃えないと、
メーカーとしては責任が全うできない。

「よーし、思い切って工場をつくろう」
真っ先に目を着けたのは、神戸ハイテクパーク。
何の実績もないコスメックにとって、当然、ハードルは高かった。
売り上げの計画書を出せと言われても、夢しかない。
夢と想いを数枚の紙に綴り、何度か面談を繰り返すなか、情熱が伝わったのか、
神戸市が認めてくれたのだった。
銀行からもなんとか融資してもらうことができ、
89年5月、ついに夢が詰まった新社屋が竣工した。

創業からの3年間、夢と希望だけで、
突っ走ってきた創業メンバー5人だったが、
本格的に会社としての業態をなしたのはこの年からだろう。
この時、コスメックの仲間も、40人所帯となっていた。

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突然、舞い込んできた大型受注

設備投資、人材の採用、そして営業所の開設など、
少しづつ拡大するとともに、取引先も順調に増えていった。
コスメックの製品は、「コンパクト・パワー・耐久性」が売りだ。
しかし、コンパクトなだけに製品のインパクトが弱く、
どちらかというと、マニアックな人たちが、
「おもろい機器や、つこうたろ」と、
コスメックの製品を好んでいた。

そんなある日、自動車ラインの大きな受注が突然、舞い込んできた。
それは、コスメックの供給量をはるかに超える注文だった。

「2002年、それまでつくってきた製品が自動車業界で認められ、
一気に広がり、急激な売上となったのです。
設備を増やし、年間で4、5人程度だった採用も、
1年で40名の人材を入れました。
新卒では間に合わず、中途採用もしながら、
社員は倍以上にふくれあがったのです」

自動車ラインの大きな仕事が入り、喜んでいたのもつかの間。
その製品は、24時間、過酷な環境で使用されるもので、
コスメックにとってはじめての経験だっただけに、
不具合がでてしまった。
「すぐに取り替えます」
ものづくり集団だけに、理由はどうであれ、
問題が出たら納得のいくまでやりかえる。
そんな対応に、「おまえんとこ逃げへんなぁ」と、
信用が高まり、この一件で、製品力もグンとあがったのである。

そこから、さらに受注が広がった。
今度は、生産が追いつかない。
ロッカールームも、会議室もつぶして生産スペースを広げたため、
来客があっても、座るところすらない。
食堂で打ち合わせをするあり様だった。
「納期が間に合わないので、この頃の営業はあやまりの部隊でした。
これが3年も続いたんです。残業に次ぐ残業でしたから、
社員の体も続かないし、このままでは、お客さんも失ってしまうことになる。
それで、新たに工場をつくることにしたのです」

2006年8月、新社屋建設。目標供給量万全の体制に。

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新社屋に竣工したことは、喚き出したいほどの喜びであった。
何せ、狭くなった空間に閉じ込められた日々が耐え難く辛かっただけに、
解放感が大きかった。
新社屋はこれまでの本社と同じ神戸ハイテクパークの中に位置する。
建物の入り口を抜けると、エントランスの奥までが吹き抜けで、
贅沢な光の空間が視界に飛び込んでくる。
メッシュの壁材で囲まれたエレベーター、
ほとんどの壁は硝子で覆われ閉鎖感がない。

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引っ越しがすむと、白川社長は深い感動に襲われた。
実はこの新社屋、設計事務所とゼネコンの競業のなかで、
それぞれ各1社、最後まで粘った企業に設計と工事を依頼した経緯があった。
その会社と様々な課題を共に乗り越え、完成した社屋だっただけに、
感慨深いものがあった。
そんな仲間たちと、年に一度は顔を合わせ、酒を酌み交わすという。

こうして、売り上げ倍増となったコスメックだが、
急成長の裏には、必ずや歪みが出てくるものである。
展望、人材、組織、創業精神は、どう変化していくのだろうか。

次回に続く。

Harmony in Innovation~心ひとつ、前へ。~

KOSMEK(株式会社コスメック)

http://www.kosmek.co.jp/index.html

〒651-2241 神戸市西区室谷2丁目1番5号
TEL:078-991-5115  FAX:078-991-8787

取材協力 代表取締役社長 白川務 様
取締役 製造部長 上村誠 様
取締役 設計部長 西本敏 直 様
営業部企画リーダー 佐藤直人 様

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