第2話
世界最高水準に挑む
主力製品の開発に、携わる
「電力が不足している中東やアジア圏に、発電所をつくって灯りを届けよう」
社内でそんな声があがり、新規開発プロジェクトが動き出した頃、飯島高善さんは入社した。主力製品であるJ形の開発に携わり、後に世界最高64%に達したM501JAC形を成功させた一人である。現在、構造設計グループ主任チーム統括を務め、より大型、高効率化への挑戦のなかで、「新しい形状や方式」を生み出すことに果敢に取り組んでいる。ガスタービン開発の鍵は温度向上と熱効率で、それに伴う課題解決が構造設計の仕事。飯島さんの語りのなかに「形」という言葉が何度も登場するが、厳しい環境のなかで長期間、高温と圧力に耐えられる、あるいは部品を守るために考え出される方法が、形となる。
飯島さん 私が入社した頃、当社のガスタービンはすでに50年くらいの歴史がありました。そのガスタービンとはどんなものかを説明しますと、見慣れたものでは飛行機についているジェットエンジンと理論は同じです。それを地べたにおいて、5倍ほど大きくしたものがガスタービンです。羽が回転している部分を見たことがあると思いますが、前側に扇風機(圧縮機)のようなものがついていて、中に空気を送り込む役割をしています。後側には風車(タービン)がついていて、これは空気が流れて回るのですが、両方とも一つのシャフトにくっついている状態です。
扇風機で送り込まれた空気がケースの中に閉じ込められ、そこにあるライター(燃焼器)のようなものに火をつけて、ぎゅっと押し込んだ空気をぼっと燃やして後ろ側の風車に当てる。その途中にノズルがあるのですが、ホースで水を流す時、口の部分を潰すと水が勢いよく出ますね。あれと同じように潰して空気をぶつけると風車が回ります。その力は同じ軸についているので、扇風機に伝わっていく。これがガスタービンの仕組みです。
形をつくるのは、難しいから面白い
「圧縮機や翼の形をどうするのか、タービンの形、燃焼器の形は?」
各グループで専門の方々が要素研究を進め、それをベースに飯島さんのところで全体の形を考える。ガスタービンの中は、非常に高温で高圧となる。この環境に耐えられるよう、圧縮機、タービンの翼、翼を取り付けるロータ、このロータと燃焼器を納める車室(ケーシング)といった、全体の構造計画・設計を行い、形にしていく。これが、飯島さんの仕事だ。
飯島さん ガスタービン全体の設計で難しいのは形を決めることです。たくさんの空気を押し込まないといけませんし、圧縮機も効率良く回してあげないと、エネルギーロスを出してしまいます。また、高速回転に耐えられるシャフトをつくることも重要で、空気を押し込んでいく過程で温度はどんどん上昇するので、熱にも耐えられる形を決めるのはとても難しいのです。
また、ガスタービンは火力発電プラントに長年おさめるものなので、壊れないようにつくらなければなりません。高温の状態が続けば、ものは徐々に伸びて壊れてしまいます。それに耐えられる材料、あるいは形状によって働く力を楽にしてあげながら、ものの力の流れに沿ってきれいに流してあげる。こうして、壊れにくい形を考えます。安心して運転できる機械をお客様に送り届けることが最優先です。高温で高圧力という厳しい環境下で、長期信頼性を実現する形を決めていくのは一番、難しく、面白いところです。
座り込んで動けなくなった日の記憶
そんな飯島さんは、16年の間に歴史に残る開発を手掛けてきた。なかでも現在、第二T地点で元気に回っている1,650℃級のM501JAC 形のガスタービンの開発は、初めて構造設計のとりまとめを任されたプロジェクトだ。これまでで、一番、大きなJOBだった。
飯島さん 開発したガスタービンは、工場内にある発電所で長期的な発電をします。毎年開けて分解し、ものが大丈夫かどうかを確かめる実証もかねた発電所です。当時、勉強させてもらう立場で関わらせてもらった機械は、2011年から8年間ほど発電所で活躍していました。その後、1,650℃級へ挑戦する次世代形の高効率ガスタービンの開発がスタートしたのですが、白紙の状態から生み出し、はじめて構造設計全体のとりまとめをさせてもらったプロジェクトでした。
製造現場の方々と、「いかにつくりやすく、信頼性のあるものをつくるか」ということに時間をかけ、話を詰めながら進めました。トラブルが発生すると皆で解決し、それをフィードバックしながら、「よし、これでいける」と最終的な図面を仕上げて。完成した機械を送り出し、工場内の初代実証発電設備で発電した時は感無量。約10 人の構造設計メンバーでタッグを組み、要素グループ、ロジックをとりまとめるグループ、製造など、多くの人が関わる大プロジェクトでしたから、皆で一致団結して、発電できたことは万感胸に迫る思いでした。そのガスタービンは今、工場内の実証発電設備で元気に回ってくれています。
その一つ前に、当時世界一となったM701J形の開発を経験していました。指揮を執る先輩の下で勉強しながら関わらせてもらったのですが、試運転を終えて、お客様のところに送るための分解作業をしている時、機械の前で座り込んでしまって。しばらく身体が動かず、感慨深く機械を眺めていたことを今でも覚えています。皆でつくったものが目の前にあるということに、大きな感動がありました。その経験があったからこそ、1,650℃級という高い目標に挑戦できたと思っています。
チームのベクトルを、あわせる
飯島さんの体験にあるように、開発の成功には必ず「感動」がある。それは、一人ではなく、仲間との共感。リーダーの示す方向に皆が進み、絆が生まれ、チームが一つになる。部下と良好な関係を保ち、皆で助け合う雰囲気を醸成するためにも、飯島さんはコミュニケーションを欠かさない。
飯島さん チームで仕事をする際に大切なことは、「こうやって進んでいこう」と、方向性を見せることだと思っています。「失敗しても責任をとるから思いっきりやってみよう」という気持ちを持って示すことです。大規模なプロジェクトは「これをやるぞ」「これをつくるぞ」と、自然に目標が立つので、それぞれの目線がバラバラになることはあまりないですね。
ただ、大型ガスタービンをつくるのに何千個もパーツがあり、そのパーツ一つひとつをチームで設計していくので、皆に「より良いものを、お客様の役に立つものをつくるんだ」という話をします。それぞれの仕事が、全体のプロジェクトのなかで、どう貢献していくのかが具体的に見えるように。そのために大事なのは、人とものに向き合うことです。一つの設計に対し、もっとこうしたほうがいいんじゃないか、あーしたほうがいいんじゃないかと皆で意見を出し合います。「チームでやってきたことを、チームで見る」。これを続けて、一歩一歩、より良いものづくりを実現しています。我々はインフラ業であって、社会貢献のために働いている。そこに対してぶれることなく、技術に対して目を背けずに、立ち向かうことだと思います。
伝統を残し、進化させ、刷新する
次々と世界初を生み出す高砂製作所だが、成功プロジェクトの原点は、「これまでの設計は、何をやってきたのか」の思想を理解することにあるという。開発の歴史のなかで、多くの先輩方が悩み、失敗を繰り返し研鑽を積まれてきた。そのとき生まれた智慧と工夫が設計ナレッジのような「技術連絡書」として残されている。設計の資産でもある技術連絡書は、“世界初”を生み出すための土台となっている。
飯島さん 新しい技術を取り入れて、新しい機械を開発するというと、先進的な響きがしますが、設計検討における「向き合い方」は、伝統的に引き継がれているものと思っています。このものの考え方、向き合い方を大事にしています。我々が新規プロジェクトを設計するに当たって、必ず経験者のレビューを受けます。その都度、教えられることは「これまでの設計は、どういうことをやってきたのか」。これを、理解することです。
それに対して「どういう対策を打つべきか」も、理解する必要があります。直面している課題を解決していくためには、なにもない状態でこうしたらいいのではないか、と判断するのではなく、これまで積み上げてきた歴史を振り返り、理解した延長線上で起きてしまったトラブルや課題に、次の一歩を踏み出します。新しいことへのチャレンジも、必ず、過去を振り返り、理解したうえで進む。上司から教えてもらったことであり、自分が一番、大事にしていること。高砂製作所の文化として根付いていると思います。
「技術連絡書」と「レビュー会」
の両面で技術の伝承を
技術の伝承には、2つあります。まず、当時の設計の思想が残されている「技術連絡書」。何を考えてつくられたものか、何故、それを考えなくてはいけなかったのか。その背景や、トラブルなどが鮮明に記録されており、それを読めば当時の情景が浮かび、理解することができます。
この背景を踏まえ、目の前の課題に改めて向き合い、構造を考え、絵にしていきます。その上で、諸先輩方から様々な視点でレビューいただく会を開き、技術的なアドバイスを受けます。これを繰り返し行い、精度の高い製品に仕上げていきます。
これらを経て、ある程度固まってきた段階で、今度は新設計レビューという大きな規模のレビュー会を開きます。自分たちガスタービンの設計部門だけではなく、プラント全体を考えるので、プラント側から見てどうか、品質保証の観点からはどうかと、多方面からアドバイスをもらう場です。一つの設計を仕上げるまでに、多くの人の目が入ります。
こうして「技術連絡書」と「レビュー会」の両面で、思いや技術が伝承されていきます。2年前まで、80歳のエンジニアの方がいらっしゃいまして。私たちにとっては、神様みたいな存在なのですが、昔の話をたくさん聞かせていただきました。こうした設計の神様たちが、当社のガスタービンの歴史をつくってきたわけですから、とても貴重な機会だったと思います。
「16 年前の決断」と「切り開く未来の光景」
設計・技術者として活躍する飯島さんだが、中学の頃から抱いていた夢があった。就活でその夢を掴みかけたとき、「ガスタービン」と出会う。このまま趣味を仕事にするべきか、それとも誰かのために生きるべきか、思い悩んだ。そんなある日、電力不足で困っている国のことを知る。これが、運命の分かれ道となった。
飯島さん 私には、中学の頃からの夢がありました。運良くその道の仕事で内定をもらうことができたのですが、三菱重工から内定をもらった時、ふと、考えたのです。自分の趣味のなかで生きていくのはどうなのか。リタイアして、自分の人生の轍をふりかえった時に胸を張れる仕事はどっちだろう、と。
就職活動のなかで、あるコンサルタント会社の方が「東南アジアやアフリカは、電力が安定していない。日本は24時間、経済を回せるけど、そこでは、彼らが頑張ろうとする素地もチャンスもない。発電所がトラブってしまうことで大変なんだ」といった話をしてくれたのです。ならば、経済の発展に寄与できる機械をそうした国へおさめることができたら、どんなにすばらしいだろう。街が暗く犯罪の多いところに発電所をおき、街が明るくなって、経済が豊かになる。そんな未来を想像しました。
「仕事をリタイアしたらその国へ行き、灯りのある街をこの目で見た時、心の中でガッツポーズがとれる。そんな人生を送りたい」。そのことに気づいた私は、子どもの頃からの夢を捨て、この道を選びました。「ここでやらせてほしい」と告げ、16年が経ちましたが、今もその気持ちに変わりはありません。これからも、胸を張って「これはいいものなんだ」と言えるものを、世界に提供していきたいと思っています。
環境も変わり、求められていることも変化しているなかで、それに柔軟に対応し、人のために役に立つものをつくり続けたいですね。設計者のひとりとして、技術者のひとりとして、自分の力を研鑽し、それを後輩たちに伝えていきたい。それが、未来に広がる灯りをつくっていくことになる、そう、思っています。(2021年10月取材)
日本の「ものづくり」魂が宿る 巨大ガスタービン工場
三菱重工業株式会社 高砂製作所
取材ご協力
三菱重工業株式会社 高砂製作所
ガスタービン構造設計グループ 上席主任チーム統括 飯島高善 様
取材
東海バネ工業 ばね探訪編集部(文/EP 松井 )