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東海バネ工業株式会社

舶用エンジンカム世界シェア60%、巨大エンジンのインジェクターを作り出す | 株式会社ショウエイ 様

第1話

【世界の真ん中はここだ!ショウエイのセンシティブチャレンジ】株式会社ショウエイ様

舶用エンジンカムで世界シェア60%、3階建ビルほどの巨大エンジンのインジェクターを作り出すショウエイは、
岡山県は美作市という過疎地から大舞台に挑んでいる。社員97名で稼ぎ出す売上は年間23億円、その陣頭指揮を執る辻井説三社長は、22年前、崖っぷちからのスタートだった。

苦難ー男の意地でかけた会社再建ー

舶用エンジンカムで世界シェア60%、
3階建ビルほどの巨大エンジンのインジェクターを作り出すショウエイは、
岡山県は美作市という過疎地から大舞台に挑んでいる。
社員97名で稼ぎ出す売上は年間23億円、その陣頭指揮を執る辻井説三社長は、
22年前、崖っぷちからのスタートだった。
「一番大事なのは、社員が明るくなること」
今回の取材は、過疎地という逆境をバネに、人材の無限の可能性を信じて疑わず、
精鋭部隊をつくりあげた辻井社長の経営哲学に迫ってみた。

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経営者のあるべき姿

世界中を暴れまわったデリバティブという怪物や、これまで積み上げてきたものが一変してしまう技術革新など、
何が起こるやらわからないのが、今の世の中である。
成長し、巨大化したことが逆に会社を、経営者を苦境に追い込み、
社会の秩序を狂わすことにもなりかねない。
日本列島、未だ、停滞ムード一色である。

そんな今、強い企業の経営をあらためて見直してみると、
そこにはマジックも、特効薬もない。
辻井社長が語るように、一番の武器は人材であり、その人材が質の高い製品・サービスを生み出し強い企業へと成長させる。
それは昨年のリーマン破綻をみても一目瞭然だ。
数字のトリックで巨万の富を手にしたこの経営者たちは、
社員の幸せなど考えず、数字をもてあそぶことばかりにうつつを抜かし、
金儲けのための金融に堕落した。
行き場を失った多くの社員のことが思い起こされる。

やはり、社員を守る経営姿勢が、トップの本来あるべき姿ではないだろうか。

辻井社長は、まさにそのことを実践している経営者であるが、
過疎という人材採用が難しい地で、いかにして世界の舞台に躍り出て行ったのだろうかーー
それは、岡山県大原町に移ってきた28年前にはじまる。

椿本チェンの創業者から譲り受けた名前

父親である現会長の輝義氏が、焼玉エンジン部品製造で
「辻井鉄工所」を旗揚げしたのは、1944年(昭和19年)のことだった。
輝義氏は椿本時代、まだ会社が30人くらいの時から 初代の椿本説三に使えていた。
辻井社長が誕生した時、
「やるもんないから、せめて俺の名前つけてやってくれへんか」
と説三社長の名前をもらったという。
椿本といえば、
今や、世界に名を馳せた一流企業である。
その創始者から名を譲り受けた辻井社長だけに、
経営者スピリッツも十分に持ち合わせていたのかもしれない。

ショウエイの柱はカムという製品なのだが、
65年(昭和40年)には、カム、ピストン、ローラ専門工場として「株式会社昭栄ディーゼル部品製作所」を設立し、
製造加工を開始した。79年(昭和54年)にはフィンランドベルチーラ・ツルク工場と、カム・ローラーなどの取引が始まる。
「これをきっかけに、世界へ打って出よう。そのためには生産体制を確保しなければ」
その2年後、岡山県大原町に移り、大阪の工場と同じ生産体制にプラスして、
ディーゼルエンジン各種部品の量産体制を確立することができた。
このとき、従業員30人規模となっていた。

人材難から経営難に追い込まれる

このあたりから、徐々に創業者からの世代交代がはじまり、
当時、部長であった辻井社長が陣頭指揮をとることになっていくのだが、
実は、大原町を拠点に選んだのは「過疎対策」という目的があった。
雇用増大という役割を果たさなくてはならないなかで、
思った以上に厳しい現実に、辻井社長は経営的にも、精神的にも追い込まれていく。

1-2

「ここには部長で来たんですが、2、3回崖っぷちに立たされましてね。
無理もありません。素人ばかりを集めて、大幅赤字をだしてしまったんです。
経営難に追い込まれると、銀行さんは引き揚げるは、ほとんどの社員は辞めるは、悲惨でした。
潰れかけている会社に残って踏ん張ってくれる社員はまずまれですわ」

大阪の銀行へ資金調達に何度も出向くのだが、当時の売上は5,000万から1億円。
ショウエイの成長は予測できなかっただけに、どこの銀行も相手にはしてくれなかった。
捨てる神あれば、拾う神ありで、ある銀行に見放されると、他の銀行に救われる。
残ってくれた社員に支えられながら、綱渡りの毎日が続いた。

「人間なんておかしなもんでね。
追い詰められて追い詰められて奈落の底に落ちると、這い上がろうとすることを思いつくんです。
その次に考えるのは、もしも這い上がれたら、〈俺は助けてくれた社員を幸せにしてやりたい、こういう会社にしたい〉と、
夢を描くんですよ。その夢だけが頼りですわ。
それを、ゆわんでええのに社員にゆうてしまうんです。
明日どうなるかわからん状況ですから、みんな左向きますわ。
ああ、またゆうとる、とね」

誰も信じない夢を追いながら、とにかく走り続けた。

会社の社員はオレが守る!

「〈東岸西岸の柳、遅速同じからず。南枝北枝の梅、開落すでに異なり〉という諺があるんです。
苦しい時はなにかにすがりたいから、中国の歴史を片っ端から読みました。
人生観のような、ええこと書いてあるんやね。
自分のとこは陽あたらへんから花咲かへんなぁ。
対岸みたら柳が青々してるけど、いつになったら良くなるやろな、と思うわけです。
そうすると、まだまだそこまで自分の力量がないからそうなるんや、ということにだんだん気づいてくるんですね。社員のせいではなく、大将の責任やとね」

そうこうするうちに、世の中はバブル時代に突入。
同業者の羽振りの良い2代目経営者を横目でみながら、
辻井社長は、ふと、この地に移って来た目的が過疎対策だったことを思い出す。

「そうや、うちは過疎対策にきてるんやから、この会社を潰したらもともこもなくなる。
過疎対策どころやあれへん。人に迷惑をかける。だから死にものぐるいで会社を、社員を守らなあかん」

この誰もいない土地で人材を活かすにはどうしたらよいのかーー
原点に戻り、 考えるなかで辻井社長の目に映ったのが女性だった。 見事な発想の転換である。
人がいないから打つ手がない、のではなく、この土地にいる人間をどう育てるか、という発想に切り替えたのである。

インジェクションという特殊な燃料噴射装置は1シリンダーでなんと、7700馬力。
どれだけすごいかというと、普通の乗用車50台分くらいの馬力だ。
そんな代物を作っているショウエイで、
果たして女性活用は成功するのだろうかーー第2話で、女性部隊育成物語をお届けする。

―船舶用エンジンカム世界シェア№1―

ショウエイ

〒707-0412 岡山県美作市古町701-1
TEL: 0868-78-3819  FAX: 0868-78-3194!

取材協力 代表取締役 辻井説三 様

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