第1話
【雪上のレーシングライダー】山本新之介様
これまでは、東海バネの作ったばねを使用した工作機械などを製造するメーカーを取材してきました。
そこでは、メーカーの理念や、素晴らしい技術などをご紹介することが多かったわけですが、今回はちょっと趣向を変えて、エンドユーザーさんの取材を敢行することになりました。
東海バネのモットーは「ばねのことならなんでもご相談ください。1本からでも作りまっせ」というものです。
今回の取材は企業対企業ではなく、企業対個人のばねにまつわる話をお届けします。
レーサーとしての本能
今回ご登場いただく人物、山本新之介さん。
そして今回取り上げるばね、それはチェアスキー用のばね(コイルスプリング)。
かつて山本さんは、バイクのロードレーサーを目指し、三重県鈴鹿市へ転居。
スピードとマシンをコントロールする技術を磨きながら、
レーサーとして活躍することを夢見ていた。
しかし、その夢が実現する直前、不運な巡り合わせとも言うべきか、
故郷の一般公道で交通事故に遭い、
<左大腿切断、右膝関節の著しい機能障害>という重傷を負ってしまった。
普通なら「夢は散ってしまった」で終わってしまうことが多いが、山本さんは違っていた。
それまで「生まれてきた理由=バイクのレースをすること」
と考えていた山本さんの気持が、
事故を境に、競技・限界を極めたい、という純粋なレーサー本能にすり替わっていく。
それは、持って生まれた 精神的な強靱さ、闘争心がそうさせたのだろう。
そして、偶然、目にとまった第7回冬季パラリンピック長野大会、チェアスキーアルペン競技。
これが山本さんの本能を再び燃え上がらせる契機となった。
「やりたい、自分なら出来る、パラリンピックに出場する」と・・・。
最初に、チェアスキーのことを、ちょっとだけ説明しよう。
文字通り。椅子にスキーを付けたもの。
これは、身体が不自由な人々が、ウィンタースポーツを楽しむための道具。
しかし、その楽しみから一歩踏み出して、世界規模で競技も行われている。
今年の3月の冬季パラリンピックバンクーバー大会で、
日本のナショナルチームが大活躍したことを覚えている方も多いだろう。
元来、スキーは山の上から下へ向かって地球の引力に従って滑降する道具。
健常者でも、身体が不自由な人でも、理屈は同じ。
ただ、健常者が、
自分の足腰をばね(ストローク)やダンパー(ストローク制御)として使用するのに対し、
チェアスキーの場合、身体を椅子に固定されてしまう。
もちろん、スピードを出さない、斜面にギャップがない、曲がらなくてもよい、
という条件であれば、普通のソリのようにリジッド(固定式)でもいいのだが、
スピードに乗せて滑る、競技を行う(レースをする)というのであれば、
健常者のに取って代わるものが必要になってくる。
それがメカニカルなというわけだ。
タイムを削るため、滑降時の安定感を得るため、その働きは絶対に必要なものとなるのだから。
山本さんは、冬季パラリンピック長野大会を見た後、素早く行動に移した。
「車椅子メーカーでチェアスキーを売ってるよ、という情報を得て、
すぐに車椅子メーカーに連絡、突然『これ、くださいな』と。
自分が滑れるのかどうか、チェアスキーがどんなものかもわからずに注文してしまいました。」
「現物を目の前にして、どうやって滑るの?という印象だったんですが、
『ここに板をつけて、ここに座って、これを持って滑るんだよ』と簡単なレクチャーを受けて、
『そうか、じゃあ行ってくるわ』と。そう、即断即行動でした。長野を見て、
『鈴鹿での忘れ物を見つけた!』『あの世界に戻れる!』『自分なら出来る!』と思っていたんです。」
しかしそこは、とても奥深い世界の入り口だった。
試行錯誤の日々
最初に購入したマシン(チェアスキー)は、パイプフレームのコンペティションモデル。
そのマシンに乗り、山本さんは、第二のレーサー人生に向けたスターティンググリッドへと着いた。
「最初にマシンを持ってゲレンデへ行った時、そりゃもう、どうやって立ったらえぇんや?というレベルでした。」
健常者のスキーとはすべてが違う世界への第一歩だった。
がむしゃらさだけでは扉は開かない、そう判断した山本さんは、
何度目かのゲレンデ行きで、講習会の門を叩いた。
「まずは、立つこと。 最初は立つことさえできなかったんで・・・。
それから、平地を漕いで移動する。ある程度の斜面をゆっくり滑る。ゆっくり曲がる。
そこまで行くと、次はリフトに乗って上に行こうということになります。
でも、そこにも難題が・・・。気を抜くとリフトから落ちてしまうんです!(笑)」
バイクのレーサーを目指していただけあって、山本さんはすぐにスピードには順応していった。
足繁くゲレンデに通い、ひとりでトレーニングの日々が続いた。
そして回数を重ねるごとに、仲間が着実に増え、
それと同時に、レーサーとしての記憶を取り戻していったのだ。
そして現在では、ナショナルチームのトレーニングに参加することが出来ている。
これも、山本さんの一途な情熱が切り開いた結果と言えるだろう。
「最初は、人のまねです。速い人は、
どんな風に滑っているのか?、どんなセッティングをしているのか?、
わからないことは、盗む。
これはレースの常識です。音楽の盗作とは違います。
まねても結果を出せば、それがキッチリとした実績になるんです。」
暗中模索ながら、山本さんの雪上ライディング・スキルは確実に上がっていった。
そうなると、自分のマシンをより良い方向へセットアップしたくなる。
これは、レーサーの本能だ。
色々と考えているところに、
Nissin(車椅子メーカー)から、新しいマシンがデビューする。
レース界、勝利への鉄則は、最新のマシンを駆ること。
コンペティターたちと同等に滑るために、山本さんは躊躇なくニューマシンを購入。
このマシンをベースに、チェアスキー自体が自分の身体の一部となるようにと、
緻密なセットアップ作業を施していくことになる。
「滑っていて身体に感じることは色々あります。
それは、僕の下半身が麻痺していないことによることも多いんですね。
チェアスキー選手は、脊椎損傷による麻痺を抱えている人が多いんです。
僕の場合は、麻痺がなく下半身に感覚がありますので、他の選手と挙動を感知する方法が違うんです。
ナショナルチームのトレーニングに参加するまでに出会った方々は、
下半身に麻痺を抱えた選手への指導は長けているのですが、
僕のような選手を指導するのは難しいんじゃないか、と思うこともありました。
だから、自分のセッティングは自分で出さなければと強く思ったんです。」
そこで山本さんは、
バイクのサスペンションセッティングの方法論を雪上に置き換え、試行錯誤をはじめた。
バイクにはエンジンが搭載され、
アクセルのオンオフで駆動力をコントロールし、マシンの挙動は変化する。
また、ブレーキングでも挙動変化をつけることが出来る。
その挙動変化を利用すれば、 サスペンションセッティングも、 かなりの幅を得ることが出来る。
しかしチェアスキーは、落下する慣性力のみを駆動力とし、ブレーキすら存在しない。
そこで求められるのは、ごまかしの利かないばねとダンパーの高度なセッティング、
そしてそれらを理解するレーサーの能力なのだ。
・・・・第二話に続く。
取材協力:山本新之介様