第3話
【世界初ゴムクローラーを生み出しだ会社】株式会社諸岡様
タイヤで動いている製品を、皆、クローラーに!第1話、第2話では、諸岡の機械(商品:車両)に対する考え方を述べた。第3話では、諸岡の開発、諸岡社長の経営、人財、機械、そのバランスについてお伝えしよう。
<挑戦>2代目社長の夢「諸岡ブランドを世界に」
タイヤで動いている製品を、皆、クローラーに!
第1話、第2話では、諸岡の機械(商品:車両)に対する考え方を述べた。
第3話では、諸岡の開発、諸岡社長の経営、人財、機械、そのバランスについてお伝えしよう。
諸岡の作り出す機械が、人間と相似関係にあることは、これまでに何度も書いてきた。
その信念は全社員の共通認識となっている。
人間と機械の接点を限りなくスムーズにすることにより、
諸岡の機械はいきいきと働くことができるのだ。
「基本の車両を応用して、様々な機械の開発をしていますが、
例えば、木材を掴む装置をつけて、山の中に入り、材木を運ぶ便利な輸送機器ができあがる。
これはもう、建設用途の範囲をこえています。
毛色の違う車両でいうと、
ゴムのキャタピラはついていて、ものを積むのではなく、砕く。
木材を細かく破砕して、
チップとなった木材をリサイクルして、燃料に使ったり、堆肥にしたりする。
そういう用途の車両もあります」
基本的に諸岡は、ゴムのクローラーと油圧の組み合わせで、ものを造っている。
この二つの組み合わせをベースとして、様々な商品が開発されていくのである。
今、タイヤで動いている商品を、皆、クローラーにかえていこう、と。
それだけで、新しく生まれる商品は相当ある。
「これまで、色んなものを作ってきましたが、売れずにやめたものも相当あります。
昔売れていたものの、今、売れなくなってきた機械というものもある。
そういった商品をリニューアルして、新しい価値観を吹き込んで売ろうとしています。
意外に、昔のカタログを眺めていると、新たな発見があります。
ただ、そういったものは、量は望めない。
確実に年間、数十台はでるものを考えろ、といってっも無理なんです。
昔はカタログにラインナップされていたヒット商品で、
今は生産していないけど、まだ使う人がいるんじゃないか?というものがある。
そういう商品をまた、造っていこうと思っています。
もう、量を沢山つくる時代ではないですから」
単品生産への開拓
日本のバブル経済の崩壊は、様々な産業に大きな影響を与えた。
特に建設機械などは大きな打撃を受けたことは想像に難くない。
しかし諸岡は、その特殊性ゆえ、自らの進路を見極めていた。
その道とは、単品勝負であった。
「バブル前までは、OEMでも出していました。
しかし、崩壊後は、ひとさまの販売チャネルに頼らない。
数は少なくても、自分たちのできる分野でやっていこう、という方針に変えたのです。
OEMですと、お客様の声を聞くことができませんが、
諸岡が単独でいくと、お客様の生の声が聞けます。
現状OEMはゼロに近い。正確にいうと、諸岡ブランドで小松さんに売ってもらっているほどです」
数を求めず、単品勝負の手作りに近いかたちでやる。
ベース車両をカスタマイズするのはコストがかかるが、
自分たちの言うことを聞いてくれたことにお客様は満足してくれる。
「光岡自動車という日本最小のメーカーが世に出しているレプリカカーは、
自分しかもっていないカスタムというところに満足感がある。
ちょっとニュアンスは違うかもしれないが、
ユーザーの満足という観点では同じだ」と、諸岡社長は付け加える。
社長就任直後は苦難の日々
こうした大量生産から単品勝負への戦略のシフトが、
諸岡をさらに強い会社へとおし上げていったのだが、
その背景には、創業者から突然渡された『経営のバトン』、があったのである。
「30歳になった時に、先代(現会長)から「明日から社長をやれ」と言われたんです。
10年間営業をやってきたのですが、社長になったら突然、バブル崩壊です。
会長に相談にいくと、「意志決定は自分でしろ」と言われる。
逃げ道はないと思いました。そんななかで、今の単品生産体制が出来上がったのです」
諸岡社長は、国内外の経済危機を二度乗り越えてきた。
ひとつめは前述した不動産バブルの崩壊、ふたつめは世界的な経済崩壊、2008年のリーマンショックだ。
振り返ると、このふたつの経済危機に突き当たった時、諸岡の体質はそれぞれ異なるものだったという。
国内の不動産バブルがはじけるまでは、業績は右肩上がり。
その頃の諸岡の主要市場は国内。なおかつ、商品は建設機械だった。
バブルがはじけて、急激に注文が減り、ここで、マーケットの対象をあらためた。
国内市場に大きく依存するのではなく、輸出の比率をあげていこうと。
アメリカとヨーロッパの市場が増えたところで、今度はリーマンショック。
しかし、海外と国内は半々だったことから、影響は最小限にとどめることができた。
「今年は国内が増えてきています。市場として海外ももっていることは大きいですね。
バブル崩壊当時は、土木用機械しかやっていなかったのですが、
10年間で林業や、環境という新しい分野を確立していましたから、分散することができ、
大きな落ち込みがなかったんです。
一度、失敗を経験しているので、人材、設備投資に関しても慎重になりました。
人材は、派遣などを使わず、すべて正社員でやっています。
アルバイトは1人。リーマンショックの時点でもリストラはしていません。
この辺りが、前回のバブル崩壊と違う点ですね」
自社ブランドの確立
そんな苦難を乗り越えた諸岡社長は、今、自社のブランド戦略に傾注している。
商品・車両やゴムクローラーに記された
それが、これからの諸岡を側面から支えるひとつの手段となるからだ。
「私どもの会社は、建設業から今、機械、製造業に変わってきています。
うちの会社の正式名称は、株式会社諸岡。名前からなんの会社だかわからない。
今後は、この諸岡ブランドをどう、あげるか、というのが大きな課題です」
諸岡ブランドをより全世界に認知されるよう、色々なアイテムを発信していきたい。
諸岡ブランドが浸透すれば、「あの諸岡ね」といわれるようになる。
一人でも多くの人に、諸岡という名前を売ることが、自身の役目だと語る。
「先にいった人がブランドを勝ち得ると思ってます。
後から行った人は、ブランドを勝ち得ない。だから、他社があまり行かないところに先に行って、諸岡ブランドをつくっていきたいんです。
先代社長(現会長)がゴムクローラーを世に送り出した当時、
この商品のカテゴリがなかった。
だから、 お客様は この機械を「モロオカ」と呼んだのです。
よくユニック付きのトラックなんて表現をしますよね。
ようはクレーンのついたものをユニック付きと総称しますが、
ユニックというのは、ブランドです。
他の会社もつくっているんですが、ユニック付き、と表現するんです。
その方が、一般的にわかりやすいから。
また、パワーショベルのことを、世代によってユンボという。
これもユンボ社というブランドネーム。
こういった社名が、一般的な形容詞になること、これが、一番強いブランドです。
ブランドには、信用、責任、文化、色んな背景があり、それがブランドを構築します。
現在、諸岡は
建設機械、環境機械、農林業機械の3つの柱で、
国内、世界へとユニークな発想と信頼性の高い商品を<竜ヶ崎>から送り出している。
その商品には、諸岡社長の信念と、技術設計スタッフ、現場で車両を組み上げる職人たちの、誇りと情熱が詰め込まれている。
ゴムクローラー付きの車両を見たら、MOROOKAというロゴ意識してみてはいかがだろうか。
MOROOKA
―環境と共に生きる―
http://www.morooka1.co.jp/
―環境と共に生きる―
MOROOKA(株式会社 諸岡)
〒301-0034 茨城県龍ヶ崎市庄兵衛新田町358
TEL:0729-66-2111 FAX:0297-66-3110!
取材協力 代表取締役 諸岡 正美様