ばね探訪 - 東海バネのばね達が活躍するモノづくりの現場をレポート

ばね探訪レポート

一覧へ

あんなこんなニュース

東海バネ工業株式会社

大阪から生まれた技術が世界にわたる | 株式会社中北製作所 様

第4話

【大阪から生まれた技術が世界にわたる】株式会社中北製作所様

取材に対応してくださった信龍専務と宮田課長から、様々なエピソードを伺った。そんなこぼれ話を、中北製作所の工場内の写真とともにお届けしていく。

写真で綴るエピソード集 取材のこぼれ話

取材に対応してくださった信龍専務と宮田課長から、様々なエピソードを伺った。そんなこぼれ話を、中北製作所の工場内の写真とともにお届けしていく。

中古船市場に高値で売れる船

中北のバルブの製品価値の高さをうなずけるエピソードがある。
それは、中古船のマーケットだ。
船主はある程度船を走らせ、収益が良くなってくると、船をリセールする。
そのときに、中北のバルブと制御システムが入っていると、その他の機器類も高品質のものを搭載していると考えられ、船の価値が上がり、非常に高い値で中古市場に流通するという。
まさに、船の価値を決めるのが中北のブランド力だ。

7

信龍専務の設計時代

「昔は、設計といえども、自分の設計したバルブが搭載されている船に乗って調整までやっていました。着岸している期間が限られていますから、バルブを取り替える為に船を止めて作業しますと、停泊料として一日に莫大な費用がかかるのです。ですから、出来るだけ短い期間の間で取り替えなくてはいけない。バルブは大きく重たいですから、簡単に外し、交換できるのもではないので大仕事です」(信龍専務)

8

創業者・辨造の先見性

「創始者が発案された事は、77年経った今でも通用するものばかりです。当時にしてみれば大胆なことだったと思いますが、よくその時代に、ここまで考えられたなぁと驚嘆することばかりです。
最近、社長が昔のことを調べているのですが、創業者のこんなこともあった、あんなこともあったという発見がかなり出てきました。
例えば、『バルブとは、鉄でありながら繊細なところがある』と言って、組立の際は下に木を敷いて、その上で組み立てるようにしているのです。今でも、現場はそうなっています」(宮田課長)

9

イナセでダンディな創業者

「創業者には2,3度しかお会いしたことはありませんが、工場の中をくまなく回られていました。当時はまだ私も新入社員でしたので、話をするチャンスはあまりありませんでしたが、イナセなかんじの人でしたね」(信龍専務)
パナマ帽にステッキ、まるで映画に登場する役者のような、ダンディな人物だったと、昭和29年、蒲生の工場に入社した信龍専務は、当時のことを語る。
また、国産のバルブが非常に少なかった時代だけに、技術書も英語のものしかなかった。辨造は、その技術書をくたくたになるまで使い込んでは研究に没頭していたという。

10

昔も今も変わらぬ現場

「今では5S活動と言って、整理整頓をどこの工場もやっていますが、当時から棚に番号を取って、この番号に置いてあるこの番号の部品というように全て一見管理をしています。戦後にはこういう風に管理していたので、創業当時からこういったことに取り組んでいたのではないかと思われます」(宮田課長)

11

中北を助けたスチームトラップ

「スチームトラップというものが戦後の中北を成長軌道に乗せたと聞いています。昔はスチーム暖房が主流で、蒸気の温度が高いものですから、熱を奪ってしまいますと、コンデンスして蒸気が温水に戻るわけです。その蒸気と温水を分けて、温水になったら外に排出するのが、このスチームトラップなのです。
駐留軍の官舎にこういうものがたくさん置いてありまして、ものすごくたくさん売れたそうです」(信龍専務)

12

水害に遭った中北を助けにいった東海バネの社員たち

「11年かけて工場を移動していったようです。そして翌年1971年に上場しました。当時、ものづくりの会社が上場するのは非常に珍しかったようです。
上場した翌年には大東水害もありました。この辺はもともと沼地で地盤が緩いところで、川も近くに流れておりますので、ここで2年連続、ひどい水害がありまして、膝までドボドボと浸かって歩いていました」(信龍専務)
そんなとき、東海バネでは、「中北さんが水害に遭い水浸しになってしまったから、助けにいくぞ!」と皆で出向き、水をかき出したり、運んだりしたとか。

13

パートナーの東海バネ工業、そして技術の伝承

バルブにとってバネは生命線。その重要なバネを高品質、高付加価値でつくっているのが東海バネである。中北製作所でもこのバネを多数使用している。
そのバネを使用したバルブを製造する上で、現在の品質を維持するためにも、
今のところ海外拠点は考えていないと中北製作所はいう。
現在の品質を維持するためにも、今のところ、海外拠点は考えていない。
技術の伝承は、日本人でもなかなか伝わりにくいもの。
とにかく、日本の、この大阪の地で、創業以来の技術をしっかり次世代へつなげていきたい、そう考えている。

14!