第1話
【ものづくり、ひとづくりに力を注ぎ込む・・】共栄バルブ工業株式会社様
大阪南部泉州の貝塚市。繊維の町、ワイヤーロープの町として知られる。現在は臨海の埋立地には有名な大手企業の工場が立ち並んでいる。内陸部は東に多くの自然が残る葛城山を臨み、大阪や堺のベットタウンとして平地まで宅地化が進んでいる。そんな住宅地の中に共栄バルブ工業がある。
超低温弁の共栄バルブ ものづくり…ひとづくり…
大阪南部泉州の貝塚市。繊維の町、ワイヤーロープの町として知られる。
現在は臨海の埋立地には有名な大手企業の工場が立ち並んでいる。
内陸部は東に多くの自然が残る葛城山を臨み、大阪や堺のベットタウンとして平地まで宅地化が進んでいる。
そんな住宅地の中に共栄バルブ工業がある。
「昔はこの辺も町工場がいくつもあったんやけどね」
と専務取締役工場長の磯江氏が出迎えてくれた。
新しい住宅街の中に”CRYOGENIC VALVE’S”と大きく表示された工場と空に向かって伸びる三角屋根の本社建屋は一際印象的だった。
超低温弁との出会い…
「この町でもう68年間、そして超低温弁を半世紀、50年近く造り続けています」
そういって磯江専務は語り始めた。
「創業時は戦中の事で艦船用のバルブ、戦後は一般工業のバルブを造っていました。
どこにでもある町工場、町のバルブ屋だったんでしょうね」
転機は昭和30年代の後半、日本は高度経済成長期の真只中、
多くの会社がその波に乗る中、
町のバルブ屋は…特化した製品、差別化、他社では造らないバルブ…これを模索していた。「それで超低温弁に辿り着いたのでしょうね」
当時の欧米では液化ガスの技術が急速に進み実用化されていた。
日本でも海外製のバルブが多く輸入され始めていた。
二代目社長・故西田新一氏の「超低温弁を造ろう」の号令で全社を挙げての開発・研究が始まった。
「教科書も無く、目の前に海外製のバルブがあるだけ。
それまで造ってきたバルブとは全く違うのですね。
不良鋳物は続出し木型や鋳造方案の改良、加工方法から検査方法まで、
西田社長が納得するのに5年位かかったと聞いています。
例えて言えば、標高300メートルの山に登る事は体力に自信さえあれば容易い事なのでしょうが、
海中300メートルとなるとそう簡単なものではありません。
体力以上に訓練、装備から全く違います。正に海底なんですよ、超低温の世界は。」
『今の共栄バルブがあるのは当時開発に携わった先人たちの執念と挑戦の結果』と磯江専務は言い切った。
生物が生きていく中で必要な空気
「空気は酸素や窒素、水素など幾つかの気体からできているのはご存知ですよね。
これらの気体を低温にして圧縮すると液化、つまり液体になります。
酸素は約-183℃、窒素は-196℃という超低温で液体になるんです。
容積は酸素で約五百分の一。この液化ガスを色んな産業で使われているのです。
製鉄や化学工場、食品から電機機器産業、医療用から宇宙開発産業まで。
また私達が生活の中で使います都市ガスも
海外から液化天然ガス(LNG)としてタンカーで輸入されます。
これも液状では約-162℃。超低温なんですね。」
この液化ガスを貯蔵するのがCE;コールドエバポレーター(超低温容器槽)で
巨大な魔法瓶の様な二重層のタンク。
これに数多くの共栄バルブの超低温弁が使われている。
また液化ガスの輸送用にCEをタンクローリーに積んだり
コンテナとして貨車輸送したりする。
これにもいくつもの種類の超低温弁が使用されているという。
幅広い産業で使われる液化ガス。
その中で磯江専務は面白い話をしてくれた。
「ユニバーサルスタジオジャパン(USJ)のアトラクションで、
煙の中から恐竜が出てきますよね。
あの煙は窒素ガスで一気に空気中に放出するんで白く煙状になって消えるんです。
施設の後ろ側にはCEが立っていて、液化窒素を気化して使っとるんですわ。
当然タンクローリーも出入りしていて全て共栄バルブのバルブを使ってもらっています。」
ものづくり…
「ものづくり」の観点から超低温弁を造る上での苦労を聞いてみた。
「私が超低温弁の説明をする時は必ず『遷移温度』の話をするんですが…」
第二次世界大戦中、ヒトラー自慢のドイツ軍機甲部隊がソ連・モスクワ近くまで侵攻した時、-50℃という寒波がモスクワ周辺を襲った。
この寒波に戦車は動く度に車軸を破損した。
これが大きな原因となり1945年5月ドイツ帝国は降伏に至ったという。
後に各国で低温下における材料強度の研究がなされ遷移温度の存在が確認された。
これは鋼材のカーボン量により多少の差はあるが鋼材を冷却し-50~-100℃の低温領域に達すると急激に材料の衝撃値が0近くにまで低下するという。
「現在の超低温弁の部材には遷移温度の出ないニッケルを含有するステンレス鋼や
銅合金を使用するんです。
超低温弁特有の鋳造技術に加えてサブゼロ処理という工程があるんです。」
超低温弁のボディは銅合金やステンレス鋼の鋳物を使うがこの時「巣」という空洞、
鋳造欠陥ができる。
超低温弁では液化ガスがこの空洞に入りバルブが常温に戻った際に
気化して高圧となり空洞部を破壊する。
よって鋳物の肉厚は極限まで薄くしながら鋳造欠陥を防止しなくてはならない。
優れた鋳造方案造りと高度な鋳造技術を必要とする。
補修が許されない銅合金鋳物に至っては自社の専門鋳造工場で生産している。
「鉄とは違いステンレス材は機械加工をするには難加工材なんです。
熱膨張が大きい上に
加工中に熱を持つので冷ましながら加工しなければ正確な寸法に仕上がりません。
更に超低温になると一部の金属組織が変化し歪が生じるんで、
荒加工後に部材を-196℃に冷やす処理を数回繰り返して
歪を出さした後に仕上げ加工をします。
この冷却処理をサブゼロ処理といいます。
超低温弁を造る上では欠かせない処理の一つですね。」
ロケットエンジンの研究・開発を行う宮城県の角田宇宙センターに
液体水素用(使用温度は-253℃)設計圧力450Kのシリンダー式バルブがある。
「共栄バルブでは多種多様な超低温弁を造っています。
小口径から大口径、手動操作弁からシリンダー空気圧力によって開閉させるバルブ、
特に宇宙開発産業向では高圧の大口径バルブを納入しています。」
共栄バルブでは顧客要求仕様に対して個別設計を元にバルブを製作する。
設計から部材調達、加工の後、組立工程となる。
「450Kで口径150Aのシリンダーに入れるバネとなると
何処のバネ屋さんでも造ってくれるという訳にはいきませんね。
やはり東海バネさんに巻いて頂くしかないのです。
線径55、自由長845mmのバネを4本のボルトで106mm締め付けます。
バネに9.5tの荷重を発生させるのです。
重量160㎏のバネをクレーンでバルブに乗せた時には
この鉄の塊が本当にたわむのだろうかと思いましたよ。」
【写真は現地での定期改修工事時の風景】
数名の作業員でナットをゆっくりと慎重に均等に回してバネを締め付けていくのだが、
ボルトが熱を持ち焼きつかないように注意しながらの作業となる。
「最後の実温検査では-196℃で〝止まる〝のかと…」
顧客仕様要求の一つに「実温(低温)試験」がある。
-196℃の液体窒素温度状態でバルブの閉止と漏洩の有無を確認する試験。
液化窒素を満たした槽にバルブを浸し、
バルブ内部にヘリウムガスを通してのリークテスト。
超低温弁としての最後の難関である。
「常温ではリーク量ゼロは容易いのですが、超低温ともなると…。
全ての部材が変形するんでリーク量ゼロのバルブは何年経っても本当に難しいものですわ。」
ひとづくり…
「超低温弁を造るのも難儀ですが、人をつくる、育成も難儀ですね。」
人がバルブを造るのだから人を育てなければならない。
特に共栄バルブの超低温弁は数多くの工程を専門作業員の手を経て造られている。
この工程で小さなミスが品質・性能に大きく影響する。
各自が自分の作業目的を充分に理解すると同時に自らの仕事だけではなく前工程や次工程も良く考えた作業をする。
「自覚を持った仕事をしてもらう。
単に上司の指示に従う作業では良い仕事は出来ません。
また、毎年各自が何か1つ目標を持って新たな仕事をしよう。
それが加工技術の習得、溶接や検査の資格を取得するのでも良い。」
これは一人の人が百歩進んでもこれでは会社全体では進歩が少なく他社に直ぐに追いつかれてしまう。
「全員で1年に一歩、欲を言えば二歩進めばなかなか真似はされない力になる。」と磯江専務は力強く説明する。
技術継承という話になると、
共栄バルブでは定年を迎えられた方々が残っている。
彼らは正に”職人”達で旋盤工、組立工と呼ばれる。
「一般社員と同じ職場で働いていて
何時でも自由にベテランの”職人”から技術の伝承が受けられるようにしています。
作業手順書も『漫画(挿絵)』を交えて作成していて
勘所にはベテラン達による書き込み多数見られます。」
経験を如何に伝えるか試行錯誤が続く。
「当社は若手が意外に多いんです。
『他の誰かがなんとかしてくれる』という甘えから、
自ら『なんとかしよう』と考えが変わっていった時、
もっと面白い会社になるんではないかと思います。
これからは、職人魂を引き継ぎ技術を守りながら、新しいことを取り入れていく、
これが課題です。
いきいきと仕事をできるように、我々は、場を提供することが大切ですね。」
最後の言葉は磯江専務の笑顔からも未来の職人たちへの期待を感じるものだった。
『超低温弁の共栄バルブ』としてあり続けるために、ものづくり、ひとづくりに力を注ぎ込む。
完
取材協力:専務取締役 工場長 磯江 學