第1話
【商社の価値】辰巳屋興業株式会社様
前回紹介した愛知製鋼と共に、
特殊鋼の商社として成長してきた辰巳屋興業の鋼材部は、
自動車業界をはじめ、様々な業界に材料を提供している。
なかでも、大阪西淀川区に位置する大阪営業所は、
わずか15名で鋼材部全体の売上の半分以上を稼ぎ出す。
時代の流れとともに、商売のあり方も変わってきたなか、
生き残りをかけた鋼材部を、訪ねてみた。
かけ合い、せめぎ合い、そして助け合い
「午後にお客さんのところへ、φ50の丸棒1トン持っていきたいんやけど」
「そんなんすぐに、無理やわ」
「ここにありますから、出ますよね。お願いします」
「そしたら、出したるわ」
鋼材部の倉庫で飛びかう、職人気質のベテランと若手営業の一場面。ここ、材料置場は、新入社員の修行の場でもある。「できん」と現場に言われると、若手は事務所に戻って調べなおす。再度かけ合い、隙間なく積み上げられたなかから、指示した材料をクレーンで引きあげてもらう。自分が現場に指示した材料が、どこにあって、どうやったら出るのかを把握するのは大切なこと。そのことを職人さんが教えてくれる。材料をすんなり出してもらえるようになるまで1、2年。資材管理のいろはを叩き込まれ、晴れて、鋼材部の一員として認められる。
そんな辰巳屋興業(以下辰巳屋)の鋼材部は、大阪、三重、名古屋、東京、新潟と5拠点に営業所を持つ。近畿から九州まで、幅広いエリアをこなす大阪営業所は、材料の取り扱い高が一番、大きい。貿易部門と統合したことで、海外も手がける。
「社会の変化、経済や株式、為替の動向など、鋼材の動きに直結してくるだけに、電話の鳴りで、日本経済の動向を感じます。忙しいときは、伝票持って走っていますよ」堀川宜之取締役が言うように、事務所の活気は、まさに、日本経済のバロメーターだ。
板バネ販売から総合商社へ
辰巳屋は、今年で創業68年を迎える。もともと、鋳物屋として自動車部品をつくっていたようで、1947年、トラック向けの板バネからスタート。材料に関わるようになり、部品関連と鋼材部の2本柱で成長してきた。その背景には、愛知製鋼との強固な関係がある。
「鋼材の商売を始めたのも、今があるのも、愛知さん(愛知製鋼)と一緒にやってこれたから。もちろん、多くの材料を扱うために、他のメーカーさんとのお付き合いも当然ありますが、愛知製鋼でできるものは、愛知製鋼でやる、というのがうちのスタンス。それにこたえてくれたからこそ、鋼材部の基盤が出来上がったと思っています」
当初はバネ鋼の扱いだけだったが、1960年代頃から扱う商材が増え、同時に、鋼材の規模も大きくなっていった。しかし、愛知製鋼と運命共同体ともなれば、自社でコントロールできないことも出てくる。過去、何度かせめぎ合いもあった。
「バブルの頃、『1000トンほしい』といっても、『600トンしか無理や』と言われる。お客様の注文の6割しか売り上げられない。随分ジレンマに苦しみましたが、そんな中でも、愛知さんはうちへの配慮を忘れなかった。あとから思えば、喧嘩っ早いうちの連中は、喧々諤々、よく、かけ合ったものでした。逆に、愛知さんが注文を必要とするときは調整弁になったりと、助け合いながら乗り越えてきたと思います」
何があっても、「愛知製鋼と歩む」というスタンスを変えなかった。特殊鋼は、鋼材全般のなかではニッチな分野。日本の粗鋼生産量1億トンといっても、特殊鋼は狭い世界。そのなかで、愛知製鋼という、一流のメーカーを持つことが、自分たちの存在価値につながると考えたからだ。そのまっすぐな姿勢が、強固な関係をつくることに直接つながった。
材料を持ち続ける信念
こうして、愛知製鋼の鋼材を流通業者、加工会社、自動車をはじめとする部品メーカーに提供している鋼材部だが、時代の流れのなかで、商社の役割とはどう変化してきたのだろうか。中小の鋼材流通業者は、商社なくしては存在できない。そのための決め手とは、市場で競争優位に立てる商品力、商品をタイムリーに低コストで提供できる物流機能、そして、顧客の事業をサポートする支援機能。なかでも辰巳屋は、顧客のサポートを優先にしてきた。
一つは、顧客の製品を辰巳屋が販売する互恵関係。もともと、辰巳屋が主力としてきた商売の形だ。そして、めったに出ない材料でも在庫し続けること。これは、なかなか判断が難しい。例えば、年間200㎏しか出ない材料でも、メーカーへの注文は、通常、2トン単位。ともすれば、在庫を消化するのに10年かかってしまうこともある。長期滞留リスト一覧を出すと、とんでもない昔に仕入れた材料が出てきたりすることも・・・。使用頻度の少ない材料でも、お客様のために、長い間、置き続けているというのは、顧客にとってみれば、なんともありがたい話である。
「これをやっていると、膨大な在庫量になるんです。なかには、お客さんが廃業するまでずっと置いていたこともありましたよ。でも、『辰巳屋は、どんな材料でもある』と言われる存在でいたい。よそから見れば、あそこの管理体制はどうなっているんだ、と思われるようなことでも、お客さんのためになるのなら、逆に率先してやるのが辰巳屋のあるべき姿です」
重要なことは、お客様に必要だから残しているのか、売る力がないのか、これを見極めることだと、野元秀一所長は語る。顧客の環境変化、ニーズを、担当の営業がどこまで把握していけるかが、これからの課題。よく聞くのは、担当者は売りに徹し、仕入れは別というケースで、なかには仕入れ価格を知らない場合もある。辰巳屋は、仕入れから値段交渉、販売、資金回収まですべてを一人の営業がやる。「権限を与えれば、責任も発生する」これが、辰巳屋流だ。
顧客に向き合う、それが商社の存在
商社としての付加価値・・・それは、顧客ネットワーク「辰巳屋会」の強化である。
「辰巳屋会には、2次問屋、3次問屋の他、切断や加工など、個性を持っている会社が多く、うちが対応できないときは、ニーズに合わせてお客さんを紹介して直接取引きしてもらうんです。それで商売が成り立てば、うちから材料が出て行く。これからは、このネットワークの確立に力を入れ、鋼材を媒介に、お客さんの商売を一緒にやっていこうと考えています」
年1回開催で、40年近く続いている辰巳屋会。創業者から、2代目への世代交代時、ジュニア会をつくったが、すでに3代目の会をつくる時期にきているというから歴史を感じる。単に、材料だけ並べているのではなく、それ以外のところで、付加価値を生み出さなければならない。それが、この辰巳屋会。顧客の事業支援や、資金繰りや事業継承まで、困っていることに正面から向き合っていく。
加工会社などの買収で、自ら加工を手がけ付加価値を高めている同業他社は目立つが、辰巳屋は、その路線をとらなかった。顧客との信頼関係のなかで、強いタイアップ体制をつくっていくこと。これが、商社としての辰巳屋の価値なのである。
「深いお付き合いをしていくには、やはり<人>が重要。教えてできるものではないので、お客さんの足となり、信頼され、無理を言い合える関係にならないといけない。お客さんの要望にどこまで応えられるか・・・。逆にお客さんに言うんです。うちの若いのが担当になったら、自分の会社のために、鍛えてくださいと。実際は、お客様に育ててもらっているんですよね」
人と人をつなげるネットワーク。人間関係を築いていくのはそう簡単ではないが、長い歴史と揺るぎない信頼関係は、誰も簡単に真似できない一番の強みとなる。
これから・・・
2017年の会社設立70周年に向けて、新しい本社社屋を建築中だ。グループ全体で現在年間約550億円の売上高を、1000億円規模に伸ばすことが目標。お客様の要望第一が大前提で、「できません」は言わない。旧態依然とした面も残るが、倉庫の改善など、5年先の移転計画のなかで、辰巳屋の鋼材部は大きく生まれ変わる。
「やれ、コンプライアンスだ、パワハラだと、言われている現代ですが、うちはおかまいなしに怒鳴り声があがっている。それでも、辞めるは人いません」
人間を大事にする鋼材部だからこそ、一喝されても愛だと受け取れるのだろう。
信頼関係優先で愛知製鋼と運命共同体となり、自社の在庫管理を無視してまで、顧客のための在庫を抱え続け、鋼材部の利益を求めるより前に、顧客の事業を支援する。そんな大阪営業所は、すべてお客様目線。時代の流れに左右されることなく、常に、顧客のためになることを考えている。だから、世の中は変わっても、辰巳屋はいつまでも変わらない。
<編集後記>
愛知製鋼さん、辰巳屋興業さんの鋼材部と紹介させてもらいましたが、いずれも、東海バネが最高の品質でバネをお客様に届けられるのは、この2社の連携が背景にあるからです。商売の信頼関係というのは、自分たちの儲けや、効率ばかり追っていたら築けるものではない。相手のことを思いやる気持ちがあって、はじめて信頼が生まれる。あらためて、日本企業の良さを感じました。
第二話に続く・・・
~商社の価値~
辰巳屋興業株式会社
〒460-0008 愛知県名古屋市中区栄2-10-19 名古屋商工会議所ビル9階
<取材対応>
取締役 堀川宜之様 鋼材部大阪営業所 所長 野元秀一様
<取材>
東海バネ工業 ばね探訪編集部(文/EP 松井 写真/EP 小川)