第2話
第2話 演劇をエンジンに
豊岡の強みである演劇とダンスを軸に、教育、障がい者、認知症を掛け合わせたプロジェクトに取り組んでいる中貝さん。市長時代に導入したもの、現在の活動のなかで取り組まれているもの。どれもがオリジナル性の高いもの。その演劇が、深いまちづくりのエンジンとなって、加速している。
生きる力を演劇で身につける
今、教育の世界で注目されている「非認知能力」。1話で少し触れたように、豊岡ではその能力を高めるために演劇の授業を導入しています。対象は豊岡の小学校1年生と2年生。非認知能力とは「IQや学力テストのようには数値化できない力」のことです。非認知能力には様々なものがありますが、市の教育委員会が特に重視しているのが、やり抜く力、人と協働する力、自分の感情をコントロールする力です。実はこれ、生きる力そのものです。
それを身につける時期は、幼児期から小学校低学年が旬の時期で、身に付けるためには、アウトプット型の自己表現がいいと言われています。日本の学びは、先生から新しいことを教えられるインプット型で、外に向け発信することがアウトプット型です。自己表現をしてそれに対して人から評価をされたり自分自身で振り返ってみる。これが、小学校1、2年生の授業の狙いです。
コミュニケーションは、キャッチボール

小学校6年生と中学校1年生も演劇の授業を受けています。その目的は、コミュニケーション能力を高めることです。何故、演劇で?と思われるかもしれませんが、コミュニケーションはキャッチボールです。重要なのは、自分の意見を述べる能力ではなく、相手の球を受け止めること。最初は何を言っているのかわからなくても、その人の立場から見えている世界を想像する。「なるほど。この人の言っていることも一理ある」となれば、そこからキャッチボールが始まります。
例えば、障がいのある人の役を演じたり、いじめを受ける子の役を演じたりすることで、直感的にその立場の人を理解できます。それを子どもたちに身につけてもらうのに、演劇は最適だと思っています。
学生の生活と演劇サポート
今、私たちが取り組んでいることをお話しします。大きな柱は3つ。
まず1つ目は、芸術文化観光専門職大学の学生の応援です。豊岡ファミリーという里親制度をつくったのですが、学生とマッチングをして、年に3回ぐらい一緒に食事をしたり、車で行きたいところに連れて行ったり、さりげなく生活を伴走するのが豊岡ファミリーの役割。今、新入生の約半分くらいが利用しています。
それと、学生たちは演劇サークルを作ってたくさん上演をしますが、課題はPRです。お金もありません。そこで私たちがPR をしたり、若干の協賛金を出して制作費を支援する。つまり暮らしと、創作活動を支えています。
障がい者 × ダンスで関係に変化
2つ目は、障がい者×ダンスワークショップ 。学校にいる障がい児には学校で色々なプログラムがありますが、卒業したとたんになくなってしまいます。施設や作業所には何かしらありますが、多くは閉じこもってしまうのです。それで、山海塾という日本が誇る世界的ダンスカンパニーのダンサーが1人移り住んできているので、その方にお願いをして、健常者と一緒に即興ダンスのワークショップをやっています。何が変わるかというと、関係者が変わるんです。
私たちは障がい者と接する時、サポートをしないといけないと上から見ているんです。施設の人たちもそうでしたが、一緒に即興ダンスをやると、とても良いパートナーになる。体の動かない人は動かないなりのダンスやるのですが、これがものすごく格好良い。そうすると、人間関係がフラットになっていく。費用は私たちが捻出して、作業所の施設のスタッフさんと地域の人と障がい者との関係性を変えるワークショップ。
認知症 × 演劇で相手の目線を知る

そして3つ目は、認知症コミュニケーション。実はこれが全力投球しないとできない内容なのですが、今、認知症の人のアシストにも演劇的なワークショップを作ろうとしています。認知症というのは、アルツハイマー病などによって脳の細胞が死滅し記憶が衰え、日常生活や社会生活に支障をきたしてしまう。稀に治る病気もありますが、ほとんどが治らないといわれています。
多くの悩みは社会生活と家庭生活にあります。本人は、記憶や理解力が衰えはじめていることをよくわかっていて、自分の失敗に対する周囲の不安も感じてしまう。思うようにならない自分や周りに対して苛立ちが起こり、時には攻撃性につながることも。そうすると、自分の居場所を求めて徘徊をするようになるのです。自分を受け入れてくれていた小さい頃の家に帰りたがったりされる。それは逆に言うと、自分の居場所がないと感じている。つまりその人と周囲とのコミュニケーションがあまりうまくいっていないと言えます。そこで演劇の登場です。
否定しない、説教しない

認知症の人の場合、物を取られる妄想が起こることがあります。例えば、「ここにあった財布がなくなった。あなた、盗ったでしょう」と。そんな時は、最初から財布はなかったとしても、「どこか他にあるかもしれないから、一緒に探そう」と言って探せばいいのです。認知症の人の世界を受け入れてイメージを共有し、あたかも役者のように登場人物になってその中に入っていく。財布が見つからなくても時間が経てば忘れてしまいます。でも「いい加減なことを言うな。財布は元々なかった」と言われると、否定された気持ちだけが残ってしまいます。
否定をしない、説教をしない。これって認知症の方と接するときに大切なこと。ドイツの介護施設で、施設の近くにバス停とベンチを置く動きが広がっています。「家に子どもが待っているから食事を作りに帰らなくては」と、姿が見えなくなってしまうことが多い状況に、 偽のバス停とベンチを置いたそうです。入居者は家に帰れると思い、安心してベンチに座って待っていますが、もちろんバスは来ません。しばらくすると「なんで私はここにいるのかしら?」と、安心して施設に戻るそうです。そのバス停とベンチは、舞台でいえば大道具。舞台設定で介護スタッフはその人が見ているイメージの世界に入り込み、一緒に演じていく、それでいいと思います。
演劇というのは、フィクション。砂漠が舞台なら、役者全員が「砂漠だ」と思って、演技しないといけない。で、観客も「砂漠だ」と思う。つまりイメージの共有。演劇はそのフィクションを扱っているがゆえに、イメージを共有するテクニックを磨いてきたのです。
演劇で問題点が見える
認知症の人の立場に立って、その人が世界をどう見ているのかを体験する。「そうか、これが見えなくなっているんだ」「これができなくなったのか」と分かった時、その気持に寄り添ってコミュニケーションを取っていくと人間関係が和らいできます。脳科学者や認知症専門医は、「認知症は究極のコミュニケーション障がい」と言いますが、穏やかに「私はずっとあなたのそばにいるよ」というメッセージを送れたらいいですね。演劇的な手法で、コミュニケーションの問題だと気づくワークショップ。 その上でどう対応したらいいのか。そんなワークショップを「豊岡ならつくれる!」と思いスタートしました。
劇団の演出家、俳優、芸術文化観光専門職大学の教員、そして認知症の専門医、精神科医、脳科学者の皆さんらと一緒にやっています。いろんな人から話を聞きながらワークショップのプログラムをどう作ればいいのかを考えています。これこそ、私たちのオリジナルです。
これが完成すると、演劇を楽しむのはもちろんですが、教育、観光、介護の領域にも役立つことになります。それが深さをもった演劇のまちづくりです。こんな街は世界にありませんから、演劇のまちづくりは豊岡の強い個性となって世界で輝くことができます。小さなまちでもいくつかの分野で世界に突き抜けていく、世界地図の上にマッピングをする。「ここに私たちはいる」と。

(第3話:「世界に突き抜ける時!」に続く)
地域の文化は、未来の資源
一般社団法人豊岡アートアクション
取材ご協力
中貝宗治理事長
取材
東海バネ工業 ばね探訪編集部(文/EP 松井 写真/EP 小川 )