みっなさ~ん!
k山ですけど、何か?
暑い毎日ですけど、夏を乗り越えましょうね~!
最近ね、この辺出身と言いながらも、豊岡の歴史について知らないことがほとんどで、
色んな分野で、少しだけ興味を持って、自己満足ワールドを広めようとしてるんですね。
今回はね、とォ~ても古い歴史の話。
今年になって、豊岡市立歴史博物館「但馬国府・国分寺館」にお邪魔しました。
今、豊岡市は但馬地方の中心として栄えていますが、
昔の中心は、現在の豊岡市日高町付近だったと言われています。
この事は、歴史の時間で勉強した記憶がありますが、その後に更に詳しく学ぼうとした事は無かったです。
豊岡市立歴史博物館「但馬国府・国分寺館」の公式HPから抜粋すると、
■国府とは
それは、今から1250年も昔-。日本には60数ヶ国があり、それぞれの国には、国府とよばれる役所がおかれていました。国府は、現在の県庁のような役所を含む、さまざまな施設が集まった地域のことです。そして、そこには現在の知事にあたる役人(国司)が都から派遣され、各国を治めていました。
■国分寺とは
天平13年(西暦741年)、聖武天皇は諸国に国分寺と国分尼寺の建立を命じました。この頃、国内では地震や飢饉などの災害が相次ぎ、天平12(740)年には、藤原広嗣(ひろつぐ)の反乱が起きるなど、鎮護国家の願いは高まっていました。聖武天皇は、仏教の力で社会や政治の不安を鎮めようと考えたのです。その命を受け、諸国は国分寺の建立に取り組んでいきます。
国府、国分寺の場所↓
■国分寺 □国分尼寺
館内には、木簡をはじめ、様々な出土品やレプリカが展示され、
シアターでは、最新のグラフィック映像でわかり易く当時に浸れる解説もされていました。
歴史を学ぶには最適な場所ですよ~!
そんな中ね、今も昔も食生活は大切、
当時の人はいったい何を食べていたのか!?
こんなんが展示してありました。※レンズがフィッシュアイの為、独特の写り方ですがお許しください。
◎国司の食事=国の行政官として中央から派遣された官吏の食事◎
○庶民の食事○
ご馳走様でした。
やっぱりパット見、階級によって内容にかなりの差が・・・。
でも、とても楽しく学べましたよ~ん!
みなさんも歴史探訪、如何ですか~!
そしてもうひとつの企画展が館内で同時開催されていました。←(注)もう終わりました。
「最初で最後の出石鉄道展-休止70年記念-」
不運の鉄道と言われた「出石鉄道(出石軽便鉄道)」は出石~江原にあったようです。
1929年開業、戦時中の1943年に不要不急の鉄道に指定され、強制的に営業休止となったそうです。
地元住民の出資によって支えられた鉄道でしたが、多くの自然災害や、
戦時下の戦況の煽りを受け、70年前に休止に追い込まれ、1970年に解散廃止となったそうです。
出石鉄道にまつわる数多くの資料の中から。
出石鉄道が掲げていた、戦時下の1枚。
今年は1945年の終戦から、戦後70年ですね。
都会、地方を問わず、こんな身近にもあった現実。
当時の人たちが、どんな気持ちだったのか、
「祝・出征」
これをみて親は家族は恋人は、どんな思いだったのか。
日本の将来=今の日本の為に全てを捧げた人たちの気持ちを、改めて考えさせられた1枚でした。
ホント有意義な一日でしたよ!
ではまた。
k山